僕が生きていく上で「切るもの」と「切らないもの」

ブログの中では、大きく2種類の文章を書いている。

  • 日記(DIARY)
  • 記事(ARTICLE)

今、読んでいただいているこの文章は上の日記(DIARY)で、日頃、僕がなんとなく考えていることを書いたり、出来事について書いたりしている。
文字通り、日記である。

下にある記事(ARTICLE)は、俗にいうブログ記事で、イメージ的にはこんな感じ。

→日記を書くメリットとデメリットを解説します【日記歴、約4年】

ちなみに、今現在、Googleの検索で一位の記事だよ〜詳しくは昨日の日記をどうぞ。

大きく分けるとこの2種類。

今回、個別の日記(DIARY)については、Googleの検索からは見つからないように設定することにした。

この設定が反映されるのがいつからかは不明なのだが、しばらくすると検索には引っかからなくなる。
なので、ネットサーフィンをしていて、「気になってクリックしたら偶然にも僕の日記だった!」ということはなくなるわけだ。

「読んでもらうために書いているのにどうして…?」と思われるかもしれないが、総合的に考えた時に、一般人が書く日記は、サイト運営上、不利にはたらくことがあるらしいのである。

今の状況や、今後の方向性を考えた時に、「それはマズイよね!」となり、検索から見つけてもらえる可能性を切ることにした。(将来的には戻すかもしれないよ〜)

ちょっぴり寂しさもあるが、サイト全体のことを考えた時に切らなきゃいけないこともある。

前に進むため、「切るという判断」が必要なこともあるのだ。
感情や思い入れなどが絡んでくるので、なかなか難しいこともあるけど、なるべく客観的な判断を心掛けるようにしている。

自分が進んでいく方向に不要だと感じるものは切ることもあるけど、同時に、絶対に切らない(であろう)ものもある。

それは、過去の人間関係、主に友達関係である。

ごく一部、例外もあるので「100%です!」とは言えないが、ほぼ100%である。

もちろん、そこには「利用してやれ、ウヘヘ」のような打算的な考えはリアルに1ミリもなくて、まぁ簡単に言うと、せっかく奇跡的な確率で同じ時代に生まれて、そう遠くない将来にみんな消えて居なくなってしまうんだから、どうせなら生きてる間は仲良くしようよ!ってな感じなのだ。

あとは、過去の記憶も切らない。
時々、思い出したように生まれ育った地元を歩いてみたりする。

なんだか久しぶりに幼稚園の頃の友達にも会いたくなった。
連絡先も知らないし、実際にはなかなか難しいけれど、まぁでも、元気にしてるといいなぁ、なんて思っている、みんな。

切るものと、切らないもの。
ここをほんの少し掘り下げてみると、「自分ってどういう人間なの?」の一端が見えてくるね。