経験という名の果実を得るがために周囲の雑草を踏みまくる

2018年10月後半から今のこのサイトを使い始めた、と記憶してる。

約1年半、試行錯誤を繰り返しながら文章を書いてきた。

当然、まだ終わりじゃない。これからもずっとトライアンドエラーを繰り返すことになる。

昨日、1日当たりの閲覧数(PV)が過去最高数値を叩いた。

これまで越えることが出来なかった壁を一つ、こえた。

素直に嬉しい。

この日記とは別にブログ記事を書き始めたこともその要因の一つだと思う。

自己満だけでも結果は出ないし、とはいえ、魂を売り渡すと、そこに自分を見失う。

毎日何かしら文章を書き続けてきた中で、そんなある種の連続性の中に生きていることを感じない日はない。

純粋に書きたい文章と、書くべき文章。

その狭間で葛藤がないわけじゃないが、どちらにしても学びがあるという事実は明白で、その一つ一つを自分自身で体感しながら進んでいくことを、一旦、今の自分に課すことにした。

やってみて気付くことがあると、そう言い聞かせてみる。

事実、そうだ。

誰かの意見は程々に聞くことが大切なこともある。

謙虚さは時に思考停止を招き、同時に傲慢さは力にもなる。

誰かの真似をしては、同じように出来ない自分の能力の無さを嘆き、経験という名の果実を得るがために、周囲の雑草を踏みまくる。

それはきっと僕自身の姿でもある、と、そう思った。

雑草とは何なのか?

若さではないのか、生意気さではないのか、誇りではないのか、あるいは、自分自身そのものではないのか。

日曜日の午後、そんなことをひとり部屋で考えながら。