日記「ずっと長い間、会っていないんだと思えれば」

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毎日、この日記を読んでくださっている方が少なからずいて、このように世界が新型コロナウイルスの脅威に晒され、ただでさえ不安な時に、少しでもクスッと笑ってもらえたり、不安が和らぐような内容を書きたいとは思っているんだけれど、なかなか難しい。今夜も部屋で外の音を聞きながらパソコンに向かっている。もう春だ、そんなことさえ思い出せない閉塞的な毎日が続いている。春は出会いの季節として語られることが多いけど、個人的には別れの意味合いの方が強い。これまで個人的にお世話になった方を、春という季節に亡くしてきた。別に暗い話をしたいわけでも、しんみりしたいわけでもない。ただ、書いておくべきことだと思ったので、こうして文章にしている。

1年前の今日、天国へと旅立った人がいる。本当は正確な日付けはわからない。諸々の状況から考えると3月31日、つまり1年前の今日、旅立った可能性が高いということだった。日頃、頻繁に会っていなかったとはいえ、やっぱり別れはつらい。実感がわかないという事実が余計にこたえる。しばらく日にちが経ってから、毎日書いている手書きの日記を読み返してみることにした。その日、3月31日に、僕は何をしていたのだろうかと無性に気になったのだ。その日、当時住んでいた東京の自宅から新井薬師の方へ歩いたと日記に書かれていた。刹那、当時の記憶がフラッシュバックする。道路を覆うように美しい桜が咲いている道があって、何かに導かれるように僕は初めて歩く道を進んだ。途中、少しでも桜に近づこうと歩道橋の上に登ってみるも、桜は下から見る方が綺麗なことに気付く。淡い色味を楽しむのは程よい距離感があった方がいい。近くの公園は花見を楽しむ人で溢れ、来年は公園にシートを敷いて缶ビールなんてのも悪くないな、なんて思っていた。周囲の駐車違反を取り締まるパトカーとすれ違う。僕はなおも先へと歩いてみる。電車の音が聞こえ、踏切の遮断機が降りる。立ち止まり、ぼんやりと踏切を眺めていたような気がする。最近観た映画のワンシーンに似てる、そう思った記憶がある。桜が風に舞い、電車が過ぎる・・・

日記は僕にとって答え合わせの意味合いも持つ。誰かにとっての特別な日に、自分はどこで何をしていたのか。それを確かめることでこの世界に現実を感じることが出来るし、どこかで繋がりを感じることが出来る。この日常にリアリティを失わずにすむし、寸前のところで真の絶望を味わわなくてすむ。大切な人を亡くした時、人はどうその事実と折り合いをつけていくのか。今日、ずっとそんなことを考えていた。実感がわかないという事実が、残酷さと救いをあわせ持つ。生まれた限り、いつか必ず死ぬという運命を全員が背負っている。昔は自分がいつか死ぬという事実が怖かった。でも、年齢を重ねるにつれて、大切な人達を失う恐怖の方が強くなってきた。その部分は確実に変化してきた。もしかすると、亡くなった人に対して、もうこの世にいない、という事実を受け入れる必要はないのかもしれないと思った。だって実感がわかないんだから。頭ではわかっていても、心が追いついてこない。ずっと長い間、会っていないだけだ。そう考えてもいいんじゃないかと思った。そうすればほんの少し救われるような、そんな気がした。

March 31,2020
It is already spring.