「運」を語れるのは、ここぐらいからじゃないだろうか?

ハタチそこそこぐらいから夢を語っていたような気がする。

「夢を叶えられる人は、ほんの一握り」
「自分の好きなことで生きていけるのは、限られた人達だけ」

何度も、こういう言葉を聞いた。

その度にどこかで「うるせーなぁ」なんて思っていたし、きっと話半分で聞いていたんだと思う。

でも、今になって思うのは、その言葉をきちんと自分の頭で分解して考えていれば良かった。
なぜならその真意を、ほとんど理解できていなかったことに気づいたからだ。

冒頭の言葉は、ある意味、真実だと思う。

ほとんどの人が、自分の夢を叶えることができないし、夢を持っていたことさえ忘れてしまう。
僕自身、夢は全然叶っていないし、夢が叶わない人、忘れてしまった人を否定しているわけではない。

難しいよね、しんどいよね、と、そう思う。

同時に、でもそれは「運」ではなくて、「努力」の領域だよなとも感じている。

「夢を叶えられる人は、ほんの一握り」
「自分の好きなことで生きていけるのは、限られた人達だけ」

この言葉を聞いていた時、僕はそこに「運」の要素を強く感じていた。
夢が叶う人は運がいい人だ、というニュアンス。
たしかに、運は必要だ。ここを省いて考えることは出来ないし、努力だけで全てカバーできるなんてことはあり得ない。
とはいえ、運を理由に語れるのは、かなり後半だとも思う。

夢を叶えるには、いくつかのステップがある。

  • 夢を見つけることができるか?
  • その夢を語ることができるか?
  • 勇気を持って一歩目を踏み出せるか?
  • 継続できるか?
  • 小さな結果を出せるか?
  • 脱落していく人を横目に、強烈な勘違いで粘れるか?

……

たぶん、「運」を語れるのは、ここぐらいからじゃないだろうか?

これまで繰り返し聞いた冒頭の言葉に、僕は「運」のニュアンスを感じ取っていたけど、本当は、「オマエは、運を語れる領域まで頑張れるの?」を問われていたんだと思う。

その言葉の真意を正確につかめていなかった。

頑張るというのはすごくジンプルだけど、でも、とてつもなく難しい。
地味だし、派手さはない。
妥協しては、自己嫌悪になる。
現実逃避することもある。

僕は、夢を見つけることができたし、語ることもできたし、なんとか一歩目も踏み出せたし、アホみたいな遠回りをしながらも継続してきた。

でも、結果だ。

小さな結果。
ここがない。

まぁ、もしかすると本当は、「運」はもっと手前から作用しているのかもしれない。

でも、それを認めちゃうと、「才能がないからお前は無理なんだよ」と言われているようで希望がなくなるから、だからせめて頂上付近までは自分の努力次第でいけるんだ、って思いたいのかもしれないね。

じゃ、また!