私は、闘牛場へと旅に出ます

0時ちょうどに更新しているこのブログは、その直前、23時代に書いていることが多い。

今日も同じくで、現在23時10分。
毎度毎度、変な緊張感がある。

とはいえ、書かなきゃ仕方ないので、パソコンに向かう。
書くことが思いついている時はいいのだが、ぼんやりしている時はなかなかのピンチで、とにかく適当に書き始めて途中で書くべきことが見つかるのを祈る、そんな感じである。

日々、派遣社員の仕事をしながら生活費を稼いで、残りの時間で諸々作業。

ラクをしようと思えばどこまででもできるので、ある程度、自分で自分を律する必要があって、そういう意味ではこの0時直前の時間帯は必要なのかもしれない。
ラクを求めると、トコトン行ってしまう。

試しに、僕の電話番号を知っている人は、23時代に僕に電話してみて欲しい。
おそらく絶対に出ないだろうし、「本当にかけてきやがった!」とブログのネタにするに違いない。

さて。

今日も少しだけ脚本の話をさせていただきたい。

去年、約2年かけて映画用のオリジナル脚本を書き上げ、シナリオコンクールに出したところ玉砕。「俺の才能がわかんねーのか!」と暴れたい気持ちもあるが、後日、自分でも読み返してみたところ、控えめに行ってつまんなかった。
暴れなくてよかったのである。

きちんと、少なくとも自分は「最高だ!」と思えるまで修正しようと腹をくくって、ここ最近は繰り返し何度も読み込んでいる。

修正したい箇所はたくさん見つかった。

でも、まだ手を付けない。
あと数日はただ読み続けて、「修正したい!」という気持ちを極限まで高める。

冷静に感じていることがある。

大幅な修正が必要であるということ。
なんならゼロから書き直す必要があるかもしれないということ。

スペインかどこかの格言にこんなのがあった。

「牛の話をするのと、闘牛場に入るのは全く別物である」と。

まさに、ごもっとも。

これまで、自分は闘牛場に入っていたと思っていたけど、ただ近くの席で牛の話をしていただけなのかもしれない。
僕はアーティストを気取ったヘタクソ野郎にはなりたくないのだ。
売れる売れないを度外視すれば、脚本の善し悪しなんてものは、ある意味、言ったもの勝ちでもある。

「これが俺の世界観なんだ!」
「これも芸術の一つなんだ!」
「よさがわかる人にだけわかればいい」
「わかんねえ奴がバカなんだ」

などなど。

いや、でもやっぱ僕は嫌だな、こんなのは。
自分の脚本で自分自身を感動させたいし、他の人にも共感してほしい。
そのレベルには本当に程遠いよ。

そのためにはどうするの?

やり直すしかないでしょうが!
2年? 
知らん、知らん。
ゼロからやり直せ、ってな感じである。

あたしゃ、ちょっくら、闘牛場の中に入ってきますよってに。

じゃあ、また!