「親友の定義」について

昨日、日記の更新ができなかったので、今から昨日分を書くことにする。

一応、毎日更新をルールにしている。

とすれば、完全にルールが破綻しているが、実は「翌日にまとめて書けば、とりあえずOK」という特別ルールを設けている。

もはや自己満足の世界である。

さて。

昨夜、22時頃から関西に住む親友とTEL。

お互いちょっぴり時間があったので、久しぶりに喋ることにした。

「軽くしゃべろうぜ」ってなノリで始まり、電話の後に日記を書けばいいや、なんて思っていたのだが、なんやかんや数時間ガッツリ話した結果、完全に24時を過ぎてしまった。

よって、日記の更新が間に合わなかったというわけだ。

昔、大阪に住んでいた頃も時々スカイプを繋いではよくテレビ電話をしていた。

その名残もあってか、昨夜も「スカイプを繋ごう!」となった。

それまでLINE通話をしていたので、ボタン一つですぐにテレビ電話に切り替えができるものの、スカイプにこだわることに。

パスワードを忘れたり、再インストールしたりと、かなり苦戦し、トータル1時間ぐらいを無駄にしながらやっとスカイプを繋ぐことができた。

真夜中の部屋で、500キロ離れた32歳のオッサン2人がスカイプを繋ぐために必死になった。

この、一見無駄に見える時間が、実はとても大切なのだ。

昔と同じようにやることに意味がある。

時には、効率性、合理性なんて蹴飛ばすことも必要なのだ。

数年後に振り返った時、サクッとLINEでテレビ電話を繋いだ場合と、ウダウダ言いながらスカイプを繋ぐのに苦戦した真夜中、どちらが記憶に残るのかは明白である。

僕にとっての一つの価値基準は、「記憶に残るかどうか」である。

話の内容は尽きない。

途中、お酒を持ちだし、即席で今流行りのオンライン飲み会になった。

自分で言うのもなんだが、僕はこれまでの人生、ずっと友人に恵まれてきた。

うわべの付き合いではなく、信頼できる友達はたくさんいる。

逆に、「こいつ嫌い!」って奴は少なくともパッとは思い出せない。

誰かと誰かを比べることもないし、「どっちが大切な友達か?」なんてことは考えたこともない。

男女、関係性問わず、どっちも大切。

以上である。

もちろん、中には例外がないとは言えないが、基本的なスタンスはそんな感じで、それが僕という人間である。

最後に、タイトルにある通り、「親友の定義」について少しだけ書いておくことにする。

親友とは何だろうか?

簡単に言えば、とても仲がいい友人だと思う。

人によって細かなニュアンスには違いがあるだろうが、基本的な意味はだいたい同じだろう。

だが、僕にとっては、ここにもう一つ絶対的な条件がつく。

それは、

「人生において親友は一人だけだ」ということだ。

念のためにもう一度伝えておくが、誰かと誰かを比べてとか、どっちが大切な友達か?とか、そんな野暮な話ではない。

大切な友達、心から信頼している友達は多い。

だが、親友は一人しかいない。

小学校一年生で出会い、「こいつは俺の親友だ!」と思ってから26年間、この考えがブレたことは、これまで一度もない。

親友は人生において一人。

これが僕にとっての「親友の定義」で、大袈裟に言えば人生哲学でもある。

遠い将来、もし彼が僕より先に死ぬようなことがあれば、僕にとっての親友は永遠に消滅する。

「誰か他の人を親友にしよう!」とはならない。

それは僕の哲学に反する。

僕は親友を持ったままこの人生を終えたいので、彼には長生きしてもらうことを祈っている。

頼んだ!

ちょっぴり長くなったが、今日はこの辺で。

みなさん、素敵な週末を。

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