才能ではなく、完全に努力の領域

昨日に引き続いて、手元のタイマーを1時間に設定し、ブログを書き始めた。

油断してしまうとダラダラと時間が流れてしまう、というのがその理由。

文章を書くことを生業にしようとしている人間が、書くのが遅く、おまけに文章がヘタとなれば何だか救いようが無いような気がするが、とはいえ、書かなきゃ上達しないことに代わりはないので、腐らずに書き続けていこうと思っている。

不思議なもので、ダラダラしているときは時間が有り余って仕方ないのに、いざ何かに向き合い始めると途端に時間が無いような感覚に陥る。

今日の午後、仕事の手を動かしながら「脚本」について考えていた。

去年コンクールに出して見事に落ちた映画用のオリジナル脚本で、「そういえば、しばらく放置しているなぁ…」と。

結果が出てから数日後に改めて読み返してみて、「つまらん…」と、それなりに絶望感を味わった記憶が蘇る。
こんなつまらない脚本を仕上げるために2年近く時間を費やしたのかと。

完全に僕の努力不足だ。

才能ではなく、完全に努力の領域。
才能のせいにするのは、あまりにも両親に失礼だ。

きっと、改善できる。

そう思えるところが救いなのかもしれないが、そうとわかっていながらずっと後回しにしてきたその姿勢が、僕の甘さ、ダメさを物語っているのもまた事実だ。

焦って、急いで書き直しても仕方ない。
何が問題なのか、なぜ面白くないのかを、僕がちゃんと掴めなきゃ物語の修正はできない。
仮に出来たとしても、きっと本質から外れるに違いない。
で、また同じことの繰り返し…

長い時間、放置してきたんだ。
ゆっくり時間をかけて脚本を読み返せばいい。

自分にとって大切な物語だったはずなのに、どうやらそんな大事なことさえ、忘れてしまっていたようだ。

読み返してみて、自分の感情がどう動くのか、ちゃんと観察してみよう。

キチンとつまんない物語に向き合わなきゃいけない。

一般的に、頑張るってのは、シンプルにしんどいんだ。
精神的にもそうだし、肉体的な苦痛もともなうことが多い。

「全員、頑張らなきゃいけない!」なんて、僕はこれっぽっちも思っていない。

人ぞれぞれで良くて、何が正解かなんて僕にはわからない。
もしかすると、そんなことを語ること自体、ナンセンスなのかもしれない。

自分はどうしたいのか?

ここがとても大事で、見失いやすい。
僕も見失ってた。

ブログを書き終えたら、サクッと夕食を食ベて、英語と、脚本作業に入ることにする。

今夜もまだまだ夜は長い。
最近、夜更かしのしすぎて朝がギリギリなので、そのへんも改めてちゃんとしなきゃね。

皆さんも、素敵な1日を。