確かに存在した日が、忘却の彼方へと

日曜日。22時02分。普段使用する最寄駅の近くにあるマクドナルドでブログを書き始めた。手元にはぬるくなってしまったコーヒーと読みかけの本がある。最近、SNSやネットニュースから離れて、読書に時間を割くようになった。買ったまま読んでいなかった本も数冊あるし、昔一度読んだままの海外の古典文学もまた読んでみようと思っている。

ついさっき、TSUTAYAに寄って、坂本龍一さんのドキュメンタリー映画をレンタルしようと思ったものの店内に在庫が無く、仕方なく諦めて、帰る前にコーヒーでも飲もうとここへ立ち寄ったというわけだ。残念。なんだか今日観たい気分だったのだ。

ちょうど2年前の今日、夜行バスで東京に来て、銀座にある小さな映画館で坂本龍一さんのドキュメンタリー映画を観た。かなり早い時間に銀座に着き、寒く曇った午後を一人歩いた。途中、マクドナルドでコーヒーを飲んだ…そうか2年前もマクドナルドに寄ったのか。夜、映画館を出た後、新橋から六本木の方までかなり長い距離を歩いた。東京タワーにハート型のイルミネーションが点灯していたのを思い出す。まだあれから2年しか経っていない。感覚的には7〜8年ほど経っているような気がする。かなり遅い時間にTBSの近くの松屋で牛丼を食べた。雨が降っていたような気もするがこの辺の記憶は曖昧だ。

夜、松屋の後、僕はどのように過ごしたのか。ここの記憶がすっぽりと抜け落ちている。どこかに泊まったのだろうか。すでに電車は走っていない時間だったはずだ。渋谷方面へと歩いたような気もするが、別の日と勘違いしているのかもしれない。確かに存在した日が、時間経過とともに忘却の彼方へと押しやられていく。これまでも、こうして数多くの日を、記憶を、失ってきたし、これからも失い続けていく。「それこそが人生だ」と安易な表現で括ってしまうことも出来るんだろうけど、それはそれでどこか寂しいような気もする。これまでの人生で、1万日以上を生きてきた。1万日である。その内、どれだけの瞬間を覚えているのだろうか。覚えている量に比べると、忘れてしまった瞬間の多さに愕然とする。

人はほとんど全てを忘れてしまう。僕はそう思っている。それはそれでいい。特に問題は無いかもしれないし、非難されることではない。でも、僕は寂しいから、これからも忘却に対抗するために日記を書く。2年前の今日、松屋の後、僕がどこに行き、何をしていたのかは日記を読み返せば恐らく書いている。その事実がどこか安心感をもたらしてくれる。読み返した時、きちんと記憶が呼び起こされるだろうか。思い出したいな。思い出せるといいな。さてと、今日のブログはこの辺までにして、もう少しだけ本を読んで帰ることにする。では、また明日。