人生初の埼玉県へ向かう電車であれこれと

今から人生初めての「埼玉県」へ行く。上京後、初めて働いた職場の同僚と飲むためだ。調べたところ新宿から乗り換えなしの一本で行けるようだし、新宿始発の電車に乗れば悠々自適、座ってブログを書けるとたかを括っていたが、予想以上に混んでいる。しかも座れなかったので、混雑している中、スペースを見つけ、立ったままブログを書いている状態だ。大宮駅まであと30分。これ以上、混雑しない事を祈る。

今日は午前中にある程度やるべきことはやった。起床後、海外ドラマを観て、昨日の日記を書き(昨日はサボった)、本を読んで、コインランドリーに行き、部屋を掃除して、脚本を書いた。なかなか充実した朝である。本来なら、レコードでも聴きながらお湯を沸かし、珈琲を淹れてひと息つきたいところだが、残念ながら一枚もレコードは持っていないし、コンロも無いので、とりあえず缶コーヒーを買ってYouTubeで音楽を聴いた。それはそれで悪くない。

最近、ブログを書く時は、あまり改行せずにギュッと文字を詰めて書くようになった。もしかすると「読みにくい」と感じる方もいるかもしれないが、書く側としては結構書きやすい。あくまで僕の感覚的な問題かもしれないけれど、何だかギュッと凝縮して文章を書いているような気になる。改行すると分散する。そんな感覚だ。あまり関連性は見られないが、感覚としては泥団子を力を込めて丸く、そして固くしている感じに近い。内側へ内側へと力を込めている。

ここで「内側」という言葉を切り取って、脚本に関連付けてもう少しだけ語ると、脚本を書くという行為は、どちらかと言えば吐き出す行為に近い。よくいう「アウトプット」だ。それはそうだ。自分の中にある物語を、登場人物たちの台詞を、文字で紙に書く。恐らく「アウトプット」という認識で間違い無いだろう。だが、何もない状態ではアウトプットは出来ない。やはりインプットが必要なのだ。ここでいうインプットとは何だろうか。脚本を書く人間(この場合は僕)のこれまでの経験や、本や映画などから得た断片的な知識などもそのひとつだ。勿論、「アウトプットプットとは何だろうか?」「インプットとは何だろうか?」と自分の頭で考える事で、少しばかり自分の解釈の幅が広がる。それすらも捉え方によっては「インプット」の要素を持つかもしれない。

何やら観念的な話になりそうなので今日はこの辺で終わることにする。もう大宮に着く。ちょっくら飲んできます、わたしゃ。