3つ目の日記計画

パソコンの前に座って約5分が経った。どういうわけか書く内容が思い付かず、このままじゃ埒が明かない、そう思って、とりあえず今の状況を冒頭に書くことにした。文章を書くことは、僕にとって完全に日常的な行為になっている。だが、なかなか上手く書けない日もある。今日はそんな日だ。一体何が調子の良し悪しに影響を及ぼしているのか、正直なところ見当もつかない。それっぽい理由をつけて自分なりに分析することは可能だけれど、それにはあまり意味を感じないし、わからないことに溢れた世界を、自分の価値観と偏見をもってして結論づけるのは馬鹿げている。わからないことは、わからない。それでいいじゃないか。何やら偉そうに語っているように聞こえるかもしれないが、それは誤解である。文章を書きながら今日書くべき内容を模索しているのだ。

先日、このサイトの名前を「杉本達哉ブログ」から「Second Diary」へと変更した。Second Diary(セカンドダイアリー)とは2番目の日記という意味である。なぜ2番目なのかと言えば、すでに1番目が存在しているからである。これまで何度も何度も繰り返し書いてきたので、ずっと僕の文章を読み続けてくれている人は知ってるかもしれないけれど、2016年の3月から毎日欠かすことなく日記を書いている。1番目はアナログの日記。もうすぐ書き始めて4年になる。こちらは完全に手書きだ。つい先日、6冊目に突入したばかりである。2番目はこれ、デジタルの日記。どうやら、僕は「日記(ダイアリー)」そのもの(概念を含めて)が好きなようだ。英語の表記も「Diary」と、ビジュアルがそもそもカッコイイ。見ているだけで何だか強烈にロマンを感じるのだ。歴史、人生、時間が、ページに詰まっている。完全なる日記フェチだ。

実は昨日から密かに3つ目の「日記計画」が動き始めた。こちらはまだ継続できるかどうか正直微妙だし、内容を「日記」と括ってしまうことが僕の中でマイナスに働く可能性もあるので、もう少し広い視野で検討する必要はあるのだけれど、簡単に言ってしまえば、日々の出来事や、その瞬間瞬間の刹那的な感情などを、短く簡単な文章で2、3文程度、書き残していこうと思っている。「2、3文? そんなの余裕でしょ!」と思うかもしれないが、ところがどっこい、これが余裕じゃない。日本語で書くのではない。英語で書くのだ。

しばらくの間、眠らせていたTwitterを開いて昨日から試験的に英語で文章を書き始めた。本当ならこのサイトに書いてもいいんだけれど、個人的にちょっぴりハードルが高いし、アナログ日記を始めた時と同じように(書き始めから約1年は3行日記だった)、まずは無理のない範囲から始めようと思った。短い文章を投稿するにはブログよりTwitterの方が手軽だ。この辺はまた試行錯誤していくだろうし、なんだかんだで結局辞めちゃうかもしれないけれど、とりあえずやってみるか、と思ったので、その気持ちを大事にまずは挑戦してみることにする。今は伝えたいことがあっても英語だと全然言葉に出来ない。それによって日々悔しい想いもしている。これから勉強する過程でたくさん間違うだろうけれど、ちょっとずつ地道に勉強を続ける中で英語への理解を深めていけたらいいなと思っている。