2019年、最後のブログで「自分の言葉」について

大晦日を迎えた。現在、20時36分。夜の東京はかなり冷え込んでいて、靴下を履いて、暖房の真下でブログを書き始めた。そういえば、1年前の今日、やよい軒で大晦日の食事おさめをしようとしてお店に向かうも、到着した頃にはすでに閉まっていた。同じ過ちは繰り返すまい、とネットで営業時間を検索すると今日も14時までだったらしい。なるほど。さて、今夜は何を食べようか、と考えている最中だ。

今年もなんとかブログを書き続けることが出来た。新年を迎える前に、自分なりに少しだけ今年を振り返っておきたい。時々、寝落ちたりして更新を飛ばしたけれど、とりあえず1年間書き続ける事が出来た。継続は力なり、と胸を張って言いたいところだが、本当に「力」になっているかは自分でも定かじゃない。ただ継続してきたという事実があるだけで、まあでも、書き続ける過程で色々と変化してきたなと感じる。今日の午後、久しぶりに過去のブログを読み返した。去年の大晦日に書いたブログを。葛藤してるな、と思わず苦笑した。当時は当時で自分なりに色々考えていたんだろうし、個人的に過去を否定するつもりはないので、何でもオッケーといえばオッケーなんだけど、読んでいて、正直、気持ち悪いなと思った。全然、自分の言葉で書いてないし、とにかく読んでいて違和感がある。文章の上手い下手や、面白い内容かどうかもそれなりに重要だ、とは思うけど、それ以上に自分の言葉で書かれていない文章の気持ち悪さを痛感することになった。2019年はこれまでやってこなかったようなことにも挑戦したし、その過程で嫌でも自分と向き合う時間が増えた。何となくわかったようなつもりになっていた自分の知らない一面をたくさん発見したし、あぁ、やっぱりお前はそういうタイプね、と改めて自分を再確認したりもした。それなりに頑張ってるんじゃない? と思うこともあれば、でも大半は、駄目だな俺…と、自己嫌悪というか失望に近い感覚に苛まれ続けた。いつぞやのブログで、飾らない姿をさらけ出す、的な内容を書いたような気がする。もしかすると記憶違いかもしれないけど、それに近い意識は今もあって、でも「飾らない」という行為は言葉にするほど簡単じゃない。人は飾る生き物。僕もそうだし、きっとほとんどの人はそうだ。このブログだって、別にわざわざ外に向かって発信する必要はない。これだって捉え方によっては飾ってることになる。まあ、飾ることへの抵抗というか、混沌とした人間社会に生きる一人の人間として、こうして文章を書く以上は、なるべく自分の言葉で書きたいというか、きっとそれが後々振り返った時に自己救済になるような気がしていて、なるべく誰の真似もしないように思いのまま感じたままに書ければいいなと思っている。それが難しいんだけど。結局は自己救済、自分のためだ。どうしても誰かの影響は受けるし完全にオリジナルな文章なんてものは存在しないんだろうから永遠に叶えられぬ理想を追い続ける羽目になるんだろうけど、それはそれでなかなか悪い人生じゃないような気がしている。自分の頭で考えなきゃね、自分の頭で。好意的であれ、またその逆であれ、周りの意見、アドバイスは滅茶苦茶大切で、同時に滅茶苦茶邪魔でもある。賛否両論あるかもしれないけど、これは本当にそうだと思う。少なくとも今の僕はそう思っている。良くも悪くも自分自身を見失うことになるからだ。基本的にはやっぱり自分の頭で考えなきゃいけない。いざ考えると自分の浅さに、ペラペラさに辟易するけど、誰かの人生を生きるより、たとえ無様でも自分の人生を生きる方が尊いような気がしていて、せっかく親から命をもらったんだから、感謝して、この人生をなんとか生きてやろう、生ききってやろうと思っている。1年後に今日のブログを読み返したら、また苦笑するのか、どうだろう。まあそれならそれでいい。継続するという、ある意味で連続性の中に我が身を置かなきゃ、なかなか自分の変化を感じることは出来ないし、その都度都度で考えながら時に進んで、時に後退し、毎日を生きていこうと思う。このブログが世界をどうこうするワケじゃないんだ。気楽に、それでいてなるべく飾らずに、しっかりと生きた証を刻むため書き続けるつもりだ。

最後に。今年1年、僕のブログを読んでくださった方々、本当にありがとうございました。来年、2020年も毎日書くつもりなので、時間が空いて、暇だなと思う時は気軽に遊びに来てください。毎日は読まなくていいので、本当に時間がある時は是非お待ちしています。僕も僕の人生を生きますので、あなたはあなたの人生を、時間を大切に生きてください。お前に言われなくてもそうするよ! と思ったでしょ? まあ言わせてくださいよ。この辺はナルシストなんで。きっと、永遠に変わらない僕の性格の一部だと思います。自意識過剰かな? 

では、また明日。