顔も知らない誰かの人生を想像しながら

昨夜、随分寒くて気温を見ると0度。そんなこともあって今日が暖かく感じる。

午後、家を出て歩いた。何だかもったいないし、しばらくは缶コーヒーを買うのを辞めよう、と決意したのを忘れ、日向で缶コーヒーを飲む自分に気付いて、あぁ、と力が抜ける。目の前を一匹の猫がトボトボと歩いていく。アスファルトが温かくて気持ち良いのか、はたまた元気がないのか、ゆっくりゆっくり、そろそろと。ふと、イカスミ(旧自宅近くの草むらに暮らすネコ)のことが気になった。昨日は寒かったから、大丈夫だろうか。どこか暖かい場所を見つけて避難してくれていたらいいけど。そういえば決まって寒い日はイカスミを見かけることがなかった。いつもぼくの前に現れるのはあたたかい日。きっとぼくの知らない場所がどこかにあるんだろう。

缶コーヒーを飲み終えて歩き出すと、さっきのネコが空き地の中を歩いていた。

何を考えているのか、目的地はあるのか。ぼくにとっては空き地は、ネコにとっての原っぱで、蟻にとってはジャングル。視点を変えれば、同じものが全く別のものになる。一見全てが詰まったこの世界も宇宙規模の視点で捉えると存在していないに等しい。それでもぼくらは今日を生きていかなきゃいけないし、また悩む。ご飯も食べなきゃいけないし、仕事もあるし(今のぼくは無いけど)、失恋したら悩まなきゃいけない。人生はそんなことの連続だ。ふと昔、両親に買って貰った絵本を思い出す。身体が小さくなってしまった主人公が、街中を探検する話。普段遊んでいる公園が全く別のものに見えたり、途中雨が降ってきて紫陽花の下で雨宿りをしたり。好きな話で何度も繰り返し読んだ記憶がある。目の前の一冊の絵本の中に、冒険が詰まっていた。その時感じたワクワクは今でも鮮明に思い出すことが出来る。過ぎ去った数千日の記憶を忘れても尚、四半世紀近く前のワクワクを思い出すことが出来る。多分、冒険が好きなんだろうなと思う。だから今でもふらっと目的もなく歩いてみたりする。特別な場所に行く必要はない。ただその時の解釈と気分と視点が、世界を別のものに変えてくれる。個人的に思うことは、ワクワクした経験を覚えておくのと同じように、自分の人生には忘れてしまった数千日が存在していて、その時々を自分なりに生きていたという事実があるということ。どんな人にも歴史がある。なぜ大切なのか、と意味は問わないでほしい。ぼくにもわからない。ただ、大切だということはわかる。あくまでぼくはだ。

時々、日々に疲れるとGoogleの地図を開く。世界地図。生活の全てが詰まった日本は小さくて、世界はその何倍もの大きさがある。こんな些細なことで視点が少し変わって、ふっと楽になることもあるし、勿論ならないこともある。でも、ここで終わらないのがぼくの冒険。直感的に世界地図からどこかの場所を選ぶ。ぼくは北欧が好きなのでよく北欧を選ぶ。別にどこでもいい。で、選んだ場所にストリートビューで降りてみるのだ。ストリートビューとは、実際その場所の周囲の風景を表示してくれる機能だ。降りるとほぼ100%の確率で初めて見た景色が広がっている。もし、その瞬間選ばなければ出会うことがなかったであろう景色。偶然が生み出す、出会い。そこに家があれば、一体どんな人が住んでいるのだろうかと想像してみる。顔も見えぬ見知らぬ誰かの人生を。急がなくていい。想像する時間はまだあるんだ。好きな飲み物を用意して、なんならシャワーを浴びてからでもいい。チョコレートをつまんでもいい。そこに住む人は、楽しい日々と孤独な夜を何度過ごしてきたのだろうか、と想像する。ルールはない。なんなら想像した内容を紙に書いてもいいし、ただ頭の中で想像するだけでもいい。人の優しさに触れ、時に悩んで、予期せぬ瞬間に誰かの愛に触れ、永遠だと信じて疑わなかった大切な何かを失う。そんな人生が、あるいは全く違う人生がそこに住む人にもある。自分にも、それぞれの人にもあるように。ストリートビューで降りなければ、永遠に考えることさえなかった人生がそこにある。人は基本的には自分の人生しか生きることが出来ない。仮に大切な人が居ても、生きることが出来るのは自分の人生だけだ。そんなある意味、自分にとっての全てが、世界規模で見れば存在していないに等しくて、さらに宇宙規模で見れば、もっととるに足りないものだ。でも、だからといって絶望する必要はない。かけがえのない自分の人生は、世界規模で見ればちっぽけで、思うようにならないけれど、でも自分しか、あなたしか生きれない唯一無二の人生だ。だから、大切だし、大切にできればいい。悩んでいる友へ、この気持ちが届けばと。ほんの少し君が歩いてきたぼくの知らない人生を想像しながら書いた。そして、あらゆる大切なことを忘れがちな自分自身にも言い聞かせながらね。