自分の内側を掘り下げる作業をサボっちゃダメだ

2019.7.24

閉店間際のカフェが結構好きで、時々ギリギリに足を運んでは一人物想いに耽ったり、こうしてブログを書いたりしている。

スマホの環境を諸々整え出したので、ブログも『杉本達哉の書斎』もスマホ1台あれば完結する。

便利なもんだ。

23歳頃から愛用しているMacのノートPCがなかなか限界に近づいていて、数ヶ月前にエンターキーが取れた。

完全なる満身創痍であることは疑いの余地なしではあるが、長年連れ添った相棒である。

もう少し頑張ってもらうことにしよう。

さて。

冒頭の写真は最寄駅に程近いカフェ。

昨年2月に「脚本家になる!」と鼻息荒く上京し、当時はよくパソコン片手にここで脚本を書いた。

慣れない環境に少しでも早く馴染みたい気持ちと、どこか人混みに紛れることで自分が世界の一部であることを認識したかった。

懐かしい。

店内はあの頃とほとんど変わっていないけど、僕はどうだろうか?

本来はもっともっと良い意味で変わっていなくちゃならない気がする。

当時も書いていた脚本は未だに完成していない。

完全なる努力不足。

いや、怠惰だ。

表現方法の一つとしてブログを始めたり、「いつかファンクラブのようなものになればいいな」と『杉本達哉の書斎』も立ち上げた。

前に進んだ部分もあれば、なかなか進みが遅いものもある。

最近SNSと距離を置き、自分と向き合う時間が増えたことでより痛感する。

ブログなど外に向けた発信は必要だと個人的には思っているし(あくまで僕の場合ね!)、「毎日更新する!」と発言した以上、やめるつもりはない。

とはいえ、

発信にかまけて、自分の内側を掘り下げる作業をサボっちゃダメだ。

僕の場合で言えば、脚本にあたる部分。

勿論、楽しさもあるけど、こうしてブログを書くことに比べると何倍もキツイ。

だから疲れた時などは妥協してしまうこともある。

ダメだ。

ダメだ。

と、自分に言い聞かせる。

本質的な部分。

人の心を打つ物語を作るということ。

もっと言えば、人の心を打つ物語を作る行為を通して、自分がこの世に生まれて生きている意味の解釈を整理したい。

なんだか観念的で抽象的な内容になりそうなのでこの辺でやめることにする。

ではでは。

お互いちょっぴり頑張りましょう。

ps.杉本達哉の書斎』も読んでね!