脚本家の雰囲気を味わおう!とあるシーンに使用する「言葉」を考えてみる。

脚本家の仕事とは一体何だろうか?

登場人物を生み出し、物語を作って、観る人の感情を刺激する

 

これら全ては正しいし、当たり前だがそれ以外にもある。

 

何も書けず悶々とする日々が続いたかと思うと、深夜気持ちが乗って一気に書き上げた自称傑作のシーンが、翌朝になってとんでもない勘違いだったと気づく。

これは日常茶飯事だ。

毎日うまく書けないラブレターを夜な夜な書いては朝読み返して絶望する。

その繰り返し……

 

要するに上手く行かない日がほとんどで、だからと言って書くことから逃避すると一瞬で力が衰える。かくいう僕も、何度もサボっては、その度に自己嫌悪に陥るという悪循環を繰り返してきた。

ただ幸運なことに少しずつではあるけど、前に進むことができるようになったし、今日もこうして文章を書きながらコツコツ進んでいる。

 

「脚本を書く」という作業の一端を体験してほしくてこのブログを書いた

 

今から言うシーンを想像してみてほしい。

 

大丈夫、脚本のフォーマットで書くことはしない。

あくまでイメージを掴んでもらいやすいようにシンプルな文章で書くから安心して。

準備はいいかな?

 

 

あなたは20代の女性。

幼馴染でずっと仲が良かった男性が明日、喫茶店をオープンする。

「今まで散々応援してくれたお礼だから」と、前日、お店に招待されたのだ。

まだ誰も足を踏み入れたことのない店内。

窓からは、午後の木漏れ日が差し込んでいる。

 

「なににする?」

「ん?」

「注文」

「あー……えーっと、じゃあコーヒー」

「はいよ」

 

彼はコーヒーを〇〇〇〇。

 

 

ここまで。

 

この、「〇〇〇〇」に入れる言葉を考えてほしい。

ここに入れる言葉によってシーンの雰囲気は変わる。

 

どうだろう?

思いつくだろうか?

 

今日はあくまで雰囲気を感じてもらいたいだけなので、あえて2つに絞ってみる。

 

  1. コーヒーを淹れる。

  2. コーヒーを注ぐ。

 

この二つだ。

 

少し考えてみてほしい。

この二つは一体、どう違うのか?

 

別にどちらかが正解というわけではないよ。

 

「コーヒーを淹れる」と「コーヒーを注ぐ」

 

一見、同じ意味を持つ2つの文章。

だが、脚本においては別の要素を表現している。

 

ちなみに、僕の解釈はこうだ。

 

「コーヒーを淹れる」に関しては、準備する男性をさりげなく目で追う女性の視線が描かれている。どこか照れがあって、見ていることを悟られたくない。そんな雰囲気。

 

ちなみに、

 

「コーヒーを注ぐ」に関しては、お湯を注ぐ男性の手元か、あるいは湯気を立てるカップの映像。映画で言うところのアップだ。

 

もちろん、この意見が正解ではないし、書き手の解釈によっても変わってくる。

 

どうだろう?

なんとなく「言葉選び」の雰囲気は掴んでいただけただろうか?

 

脚本家はあらゆるシーンのあらゆる行動に対して、自分が込めた想いと意味を「言葉」という道具を使って表現していく仕事。

 

最後に、2つの「言葉」を入れたシーンを交互に読んでほしい。

 

【バージョン1】

あなたは20代の女性。

幼馴染でずっと仲が良かった男性が明日、喫茶店をオープンする。

「今まで散々応援してくれたお礼だから」と、前日、お店に招待されたのだ。

まだ誰も足を踏み入れたことのない店内。

窓からは、午後の木漏れ日が差し込んでいる。

 

「なににする?」

「ん?」

「注文」

「あー……えーっと、じゃあコーヒー」

「はいよ」

 

彼はコーヒーを淹れる。

 

 

【バージョン2】

あなたは20代の女性。

幼馴染でずっと仲が良かった男性が明日、喫茶店をオープンする。

「今まで散々応援してくれたお礼だから」と、前日、お店に招待されたのだ。

まだ誰も足を踏み入れたことのない店内。

窓からは、午後の木漏れ日が差し込んでいる。

 

「なににする?」

「ん?」

「注文」

「あー……えーっと、じゃあコーヒー」

「はいよ」

 

彼はコーヒーを注ぐ。

 

 

どうだろう?

別の意味を持ったシーンになってはいないだろうか?

 

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