終わり良ければすべて良し、のようにハッピーなニュアンスなんかじゃない

昨夜、ニトリのベットセットを購入したことで新居での生活に向けて準備する物が基本的に揃った。思えば上京してから約2年、ずっと寝袋生活だった。よく無事に冬を越せたものだ。我ながら感心する。

今日は仕事から帰った後に荷造りをしている。今日やるべき英語と脚本の作業はすでに終えた。途中、数分程度、極度の眠気に襲われたもののなんとか意識を保って机に噛り付いた。英語と脚本よりも先に荷造りをしてしまうと確実に疲れて寝落ちる。そう予想して順番を入れ替えたのが功を奏した。そんな気がしている。もしこの順番が逆なら今頃は寝ていたに違いない。それにしても荷物が全然ない。まぁ、細々したものが色々と出てきたので想像していたよりは多かったけど一般的には少ない方だと思う。配送してもらうのはダンボール3つと簡易的な机のみ。後は粗大ゴミに出したり、自分で運んだりする。いよいよ今週末から埼玉県だ。

明日の夜、ダンボール3つと机を集荷に来てくれる。なので木曜日と金曜日の夜はガランとした部屋で過ごすことになる。上京した日もガランとしていて、何もなかった。東京での新しい生活が楽しみで、それでいて不安だったことを思い出す。深夜に何度も何度も家とドンキホーテを往復して購入した家具を運んだ記憶が蘇る。あの頃と比べると随分東京での生活にも慣れたし、当時のような不安を感じることはない。それはそれでいいことだ。月並みな言葉だが、少しは成長したのかもしれない。いろいろな意味において。でも、それがどこか寂しくもある。不安や得体の知れない何かに胸騒ぎを覚えた夜は、時間が経てばいい思い出に変わることを経験的に知っている。当時のある種の新鮮味と不安感は、おそらく二度と取り戻すことが出来ない。環境を変えない限り。埼玉の新しい家で、また不安な夜を過ごしたい。眠れぬ夜を過ごしたい。無性に誰かと語り合いたくなる夜を過ごしたい。叶わない願いかもしれないけれど、できればまた、そんな夜を過ごしてみたい、そう思う。

この文章を書いているのは、22日水曜日の22時45分。まだ今の時点で寂しさはほとんど感じていない。どちらかといえば新居への楽しみの方が強い。だが、必ず寂しくなる。それは自分でわかる。長年、ぼくに付き合って来たぼくはそう予想している。終わり際が肝心だ。終わり良ければすべて良し、のようにハッピーなニュアンスなんかじゃない。終わり際に無性に寂しくなるのが一番素敵だとぼくは思う。晴れ晴れとした気持ちである必要なんてないし、後悔の気持ちが含まれていてもいい。それだけ日常がかけがえのない瞬間瞬間の連続の上に成り立っていたということだ。

January 22,2020
Sometimes,I want to spend an uneasy night.