無駄を愛して、無駄を削ぎ落とす

2019.07.14

久しぶりに“紙の本”を手に取って読んでみた。

日頃、脚本を書いたり、ブログを書いたりと、主にパソコンやスマホに触れる機会が多い。
書く以上、ある程度のインプットは必要不可欠なので、それなりに文章を読む方だとは思うが、サクッとスマホなどで済ます事が増えた。

『情報』という括りでとらえると、スマホで読もうが、紙の媒体で読もうが同じだし、むしろ手間を考えるとスマホの方が利便性も高い。

でも、

ふと、“ある種の重み”を感じたくなって、紙の本を手に取った。

気づけば数時間。

ただ没頭し、日頃のあれこれを忘れて集中してる自分がいた。

意識的にアナログなものに触れるようにしよう。

ついつい利便性や効率を考えて、無意識的に無駄を省こうとする自分がいる。
何だか小さい男だなと。

無駄を愛して、そこに美学を感じる事が出来るほど、もっと世の中を観察、考察する必要があるのかもしれない。

冒頭の写真にあるノートは無印良品で購入したもの。

シンプル。

毎日毎日、手書きで文章を綴っているけど、「その行為を愛しているか?」と問われると決してそんな事はない。
どこか義務感もある。

もっと、“書くという行為”そのものを愛していこう。

手間がかかるからこそ。

ノートの上にあるのはブックマーク。

いわば、“しおり”である。

世界に1つしかない、僕の名前が入ったしおりだ。

物欲も全然ないし、部屋にはリアルに物がないけど、何だかもっともっと削ぎ落としたくなってきた。

本当に大切なもの以外、全て捨ててしまえたら、どれだけラクだろうか。

どれだけ身軽になるだろうか。

削ぎ落とす。

この一見、シンプルな行為の難しさを痛感している。

無駄を愛したいという気持ちと、無駄なものを削ぎ落としたいという気持ち。

この相反する『矛盾』を抱えたまま、これからも生きていくんだろうな。

Instagramから離れて、正直、めちゃくちゃ心が軽くなった。

無意識的に周囲と自分を比べて優越感を感じたり、劣等感を感じたり。

そんな毎日を過ごしていたんだなと思う。

ストーリーテラーとして、意識を向けるのは、“自分の内側”。

いつかはFacebookも辞めちゃうかも。

今すぐは無いとは思うけどね。

さてと。

所有している書籍の断捨離でもするか。

読みたくなったら、また買えば良いよね。

日頃、『杉本達哉の書斎』でも文章を書いてる。

ブログとはちょっぴり違うテイストで書いているつもりなので、お時間ある方は読んでみてほしい。

では、では。

皆さん、素敵な日曜日を。

またね。