深夜の街で痛感。悪気なき正論の押し付けは想像力低下のサイン

深夜の街で見知らぬおじさんに声をかけられた。

 

一度しかない人生の価値観


おじさん「ここってタバコ吸ってええんかな?」

ボク「あー、どうすかね」

 

タバコに火をつけるおじさん。

久々に見知らぬ人と言葉を交わした気がする。

ネット社会への逆行……ま、さすがにそれは大げさかw

 

 おじさん「にいちゃんタバコは?」

ボク「やめました」

おじさん「ほぉ・・・えらいのぉ」

 

と、目を細め、煙を吐き出す。

 

ボク「一回しか生きれないんで、死に急ぐ必要はないでしょ?」

おじさん「一回しかないから好きに生きるんや」

ボク「・・・」

 

誰かの正論は、他の人にとっての正論とは限らない


そんな当たり前に改めて気づかされた。

 

インターネットの登場で世の中が便利になり、リアルなコミュニケーションの場は確実に減ってきた。

ネットさえ繋げば、遠く離れた相手と互いの顔を確認しながら話せる。

実生活において効率化、生産性を追求する上で時間の短縮や無駄の排除は必須だ。

 

しかし、対人間のコミュニケーションに関してはもう少し俯瞰して考える必要がある。

そうでないと、いろいろな弊害が出てくる。

 

最近ではサラリーマンをディスったり、煽り文句によって大衆の意識を「わかりやすい方向」へと扇動する動きがあったりする。

 

言葉は悪いが、要はカモられているのだ。

 

多くの人が思考することをやめてしまったからに他ならない。

あるいは出来なくなっているのかもしれない。

あまりに情報が多く、自分の頭で考えなくてもすでに他の誰かが近い答えを出してくれている。

その情報を探し出しさえすれば大抵の問題は解決できる。

自分の価値観なんて持ち合わせていなくてもそれなりに不自由なく生きられるし、そもそもそんな状況に疑問すら持たなくなる。

なぜなら想像力が欠如しているからだ。

特に他者に対する想像力はどんどん失われる。

 

これほど偉そうに書いているボクも、自分自身の想像力がうまく働いていない瞬間を感じることは多い。

 

おじさんとの会話でもそう痛感した。

 

時には街中で見知らぬ誰かの人生に思いを馳せてみても良いかもしれない。

無駄かどうか、メリットがあるかどうかは一旦忘れて。

 

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