涙の理由

2日連続で夜中に大汗をかいて目が覚めた。一昨日は怖い夢を見て、昨日は服を着込みすぎたのが原因である。案外ナーバスになっているのかもしれないな、と思った。何に、と問われるとその何が具体的には見えないんだけれど、なんだかそんな気がしている。始めたばかりの仕事に対してなのか、先の見えない漠然とした日々に対してなのか。はたまたその両方なのか。どちらかと言えば性格はマイペースだと思う。強めのマイペース、つまり頑固ということだ。優しい方だとは思うけれど、基本的に自分の考えや意見は曲げない。というより、曲がらない。余程、僕が間違っている時は例外である。指摘はちゃんと(?)聞けるようになった、つもりだ。

そんな頑固者の僕もそれなりに落ち込んだりクヨクヨすることはある。しかも結構な頻度である。周りの人がケロっとしていることにもクヨクヨする。勿論、その逆もある。気が弱いのだろう。この性格は幼い頃から全然変わっていない。無理矢理、自分に何かを言い聞かせて強くなろうとは思わない。それは強さとは言わないと思っている。

昨夜、時刻は午前3時頃。汗で湿ってしまった布団にファブリーズをかけ、しばしの休憩。冷蔵庫からお茶を出してキッチンで飲む。余程喉が渇いていたんだろう、グビグビと飲める。お茶がたまらなくおいしい。飲み終わってから深夜の深さを感じることになった。静かな深い夜。このまま起きていようかなと思ったけれど、しばらくしてから再びベットに横になった。この判断が、のちに僕に一つの疑問を投げかけてくることになる。疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。

僕はバスに乗っている。両側の窓からは風情ある家が見え、どこか京都を感じさせる景色が続く。なぜバスに乗っているのかは上手く思い出すことが出来ない。午後のある晴れた日である。バスが十字路に差し掛かった時、見覚えのある顔が2つ、通りを渡っているのが見えた。懐かしい人が二人、そこにいた。二人とも幼い子供を連れている。一人はベビーカーを押して、もう一人は抱っこしている。気がつくと、僕は廃れたタコ焼き屋の店内を走り抜けている。いつの間にか日が暮れ、辺りは暗い。さっきまでバスに乗っていたのに、とは思わない。特に不自然さを感じることもなく世界は繋がっている。どのようにバスから降りたのかはわからないが、ハッキリわかっていることは、僕はその懐かしい二人を探しているということ。ふと、東京の中野駅に居ることに気付いた。先日まで暮らしていた街。探していた一人が目の前に現れた。数年ぶりに会うけれど、全然変わっていない。まるで、つい昨日も会ったかのようである。何を話したかはよく覚えていない。ただ会話を交わしたという事実を覚えているだけである。もう一人もすぐ側に居た。視線が合う。「かっこよくなったね」と、ひとこと、そう言われた。内心、そうかな、と思った。30歳をこえて白髪も増えてきたし、オシャレとは程遠い人生を歩んでいる。でも、悪い気はしなかった。僕は照れ隠しにちょっぴりおどけてみようかと、顔を上げた。また視線が合った。泣いている。微笑みながらも、眼には涙…

僕は目を覚ました。随分長い時間眠ったような、そんな気がする。でも窓の外はまだ暗い。疲労感もない。何時間も何時間も熟睡したような、そんな感覚である。曖昧に溶けてゆくはずの夢が、なぜか今回は脳裏に焼き付いた。どうして泣いていたのか。その理由が無性に知りたくなった。考えても仕方ないことはわかっている。今は別々の世界に居るのだ。同時に、その理由がわかっているような感じもする。僕の一部が投影されているからだろうか。きっとそうだ。夢に現れた懐かしい人は、懐かしい人であり、僕でもあるのだ。枕元のスマホを手に取ると時刻は午前4時30分すぎ。起きようかと思ったけれど、もう少し眠ることにした。その前に一枚写真を撮った。この瞬間を覚えておきたいと、そう思った。