武器を手に入れた小さな男の反逆宣言

昨日、ブログで逆ギレしたところ「毎日同じようなことばっかり書いてんじゃねーよ!」と更に高い温度感でキレられ(叱咤激励)、「もっと、葛藤して殻を破るところが見たい」とアドバイスをもらった。

正直に言えば、コメントは心の底から嬉しい。
ありがとうございます。

珍しく逆ギレしてる杉本のブログ(昨日分)はコチラ

毎日書いていると「あー、マンネリ化してる……」というのは自分でもすぐにわかる。
感覚的にわかることもあれば、具体的な数字(ブログの閲覧数)などでわかることもある。
この二つはほぼ比例する。
「今日は上手く書けなかったな」と感じる時に閲覧数が伸びることは基本的には無い。

その昔、よく本屋さんに行っていた頃は、棚に並ぶ書籍の“極端なタイトル”に批判的だった。
「なんだか偉そうだなぁ」と思うこともあれば「お前に言われたくねえよ!」であったり、「そもそもお前誰だよ?」と思うこともあった。

だが、自分がこうして毎日文章を発信するようになり、“お前誰だよ側”に回ってつくづく感じるのは、「ある程度極端でないとそもそも誰も読んでくれない」という厳しい現実だった。

これは弱音ではなく、愚痴でもない。
現実だ。

僕は村上春樹じゃない。
書けば読まれるわけじゃないんだ。
内容を磨くことは言うまでもないが、内容に目を留めてもらうための努力を怠ってはいけない。

本来ならもっとクールでありたいし、サングラスでもかけながら小さい声で「脚本ってのはさぁ」と語りたい。
だが、少なくとも僕には無理だ。
それが出来るほどの「特別な才能」は持ち合わせていない。
天才じゃないんだ。

「あいつ、なんか変わったね」と言われようが「イタイなぁ」と言われようが、読んでもらうためにはあらゆることをしなくちゃならない。
んなもんで、今日はこんな写真を撮ってみた。

写真を白黒にしてちょっとでもハンサムに見せようとしている点と、乳首を写していない点が、僕の小ささを物語っている。
ちなみに、撮影前には腕立て伏せをしてちょっぴり筋肉に張りを与えてみた。
つくづく小さな男である。

芸術はよくできてる。
20代に映画の専門学校に行っていたけど、「別に大勢に理解されなくても芸術の本質さえ理解していれば…」という感覚に支配されていた時期もある。
事実、そう考えている人も多かった気がする。

「目の前の一人を楽しませることの重要性」みたいな考え方だ。

これ自体はすごく尊いことだ。
でも、目の前の一人を楽しませることが出来ても100万人を楽しませることは出来ないかもしれない。
だが、100万人を楽しませることが出来る人は、おそらく目の前の一人を楽しませることが出来る。

僕は後者でありたい。

偉そうに「芸術とはなんぞや」と語りたくなどないし、「わかる人にだけわかればいい」なんて死んでも思いたくない。

だが、
現実は目の前の一人さえ満足に楽しませることが出来ない実力だ。

この理想と現実の狭間で常に葛藤している。

2018年にブログという武器を手に入れた。
僕はこれからもブログを活用していくし、可能な限り自分を、自分の考えを曝け出していく。

ヒマがあればまた読んで欲しい。
それなりに反逆していく。

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深夜の東京で脚本を書く31歳のフリーター(杉本達哉)が、『アカデミー脚本賞』なる、現在地からどんでもなく遠いところにある「夢」を掴む為に奮闘する日々の記録。
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