最近ブログを“シェア”してくれる地元の親友について

2日程前のブログで現在、修正作業中の本の「はじめに」を公開した。

数年前までは考えられなかった書籍の“無料公開”は、今では広告のスタンダードになりつつある。

時代が変化するスピードは一個人の想像をはるかに上回っていて、今日の『当たり前』が明日も同じように通じるかどうかは定かではない。

便利だけれど、ある意味では常に“何かしらの不安”に苛まれやすい世の中なのかもしらない。

個人的には、物事には常に“相反する面”が存在していると思っていて、絶対的な正義(正解)もなければ、絶対的な悪(不正解)も存在しないと思っている。

あくまで、“解釈”が占める割合が大きいという考え方だ。

『挑戦』という一見前向きなニュアンスを持つ言葉も捉え方、解釈を変えれば“ただ単に振り回されているだけ”とも捉えられる。

今日は何やら小難しい話をそれっぽく語っているのだが、『“はじめに”を無料公開』したことについてあれこれ語ったとしても、「興味ねーよ!」って方もいると思うので、最後にちょっぴり僕が“普遍的”だと思う話題に触れて終わることにする。

一言で言えば、『友情』について。

ここ最近、地元の親友が僕のブログを『シェア』してくれる頻度が増えた。

勿論、そこに“ある種の癒着”なんてものはなく(親友なんで、たまに「シェアしろよー!」と脅すけども)、たぶんエールの気持ちがあるんだろうと勝手に想像している。

一応、僕も大人なので、本当は「全部シェアせんかい!」と思ってはいるものの、「まあ、良いなと思う記事があったら“シェア”してね!」と伝えている。

まあ、当たり前と言えば当たり前だ。

んでもって、昨日も“シェア”してくれた。

しかも、文章まで書いてくれて。

僕も別人を装って、それを“シェア”したんだけど、本来であればそれに対して色んなリアクションがあれば親友ももっとシンプルに楽しんでもらえたんじゃないかなと。

この辺りは僕に特別な影響力があるわけではないので、何となく申し訳なかった。「すまんよ!」ってな感じ。

おまけに「閲覧数伸びた?」なんて気にかけてくれて、過去最高数値でも叩き出していれば「お前のおかげよ!サンキュー!」と、もっと張り切って言えたものの、なんだか中途半端で、これまた「すまんよ!」ってな感じだ。

ただ、シェアによって“初めてブログを読んでくれた人”も多かったので、感謝している。

エンターテイメントの世界にいる以上は、やっぱりたくさんの人に楽しんでもらえるような作品を作らなきゃいけないし、そこに綺麗事は通用しなくて、特に秀でた才能が無いんだからせめて「『時間』だけは捧げなきゃいけないな」と思っている。

今もバイトの昼休みだ。

休憩室で鬼のようにスマホをカタカタ打っている。腹が減った。

ヤバイ、そろそろ戻らなきゃ!

では、また。

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