最終日の挨拶

本日、4月1日から勤めた会社の勤務最終日だった。17時過ぎに勤務を終えて、いつも通り自宅最寄駅まで1時間かけて歩く。その道中、色々な記憶やら感情が溢れ出してきて、何か特別なものを残せるかどうかは別にして今日中に文章にしておくべきだと思ったので、スマホを取り出し、こうして書き始めた。

今日は午前中から仕事の合間を見つけては、お世話になった方々(上司やSV)への挨拶回りをスタートさせた。日頃から業務で絡む機会が多い人に「お世話になりました」と感謝の気持ちを伝える。勿論、皆んな仕事中なので、なるべく邪魔にならないタイミングで話しかけたつもりではあるが、もしかすると合わせていただいていたのかもしれない。忙しい中で仕事の手を止めていただいた方々に対して何だが申し訳なく思わないこともない。「普段からなるべく絡む機会が多い方」という選定基準のもと挨拶回りを続けていたのだが、一日の業務をほぼ終えた夕方に「可能な限り全ての人に御礼を伝えよう」と思い至って時間の許す限り多くの方々へ挨拶をさせていただいた。中には電話中だったり、ミーティング中だったりと、残念ながら挨拶が出来なかった方もいるが、可能な限り挨拶をしようと試みて良かったし、シンプルに感謝の気持ちを伝えたいと思った。普段あまり頻繁に絡みがなくても会話を交わす事でその人のひととなりが少しばかり分かるし、どこか繋がりを感じることで心があたたかくなったりする。往々にして皆さん優しい人ばかりだった。

挨拶を終えて会社を出ると、そこにはイルミネーションに彩られた新宿の街があって、ふとこれまでの職場での日々を思い出し、突如「寂しさ」がやってきた。個人的には「寂しさ」は人間にとって非常に大切な感情のひとつだと思っていて、そのある種、孤独感の中にポツンと存在しているときにしか日々の大切さはなかなか感じることは出来ないと思っている。日常の大切さ、かけがえのなさは余程の事がない限り簡単に忘れてしまうのが人間である。御多分に漏れず僕もそう。「寂しさ」に浸りながら偉そうにこうして文章を書いている僕でさえ、普段は忘れているし、あまり意識していない。「仕事に行きたくないな」「怠いな」と感じている人も世の中には多いと思う。正直、僕もよく思っていた。「休みだったらな」「行きたくないな」と。けれど、いざ勤務最終日を終えて、もう出勤することがなくなると、こうして寂しさを感じることになる。これからも孤独や寂しさと隣り合わせの人生を歩んでいきたい。それはかつて充実した日々を送っていたという証拠だ。常に毎日が幸せだと簡単にその有り難さを忘れてしまうから、だから僕は孤独と寂しさと適度な距離を保ちつつ今日も生きる。