時間の可能性

世間から認知されていない無名の脚本家が「時間の可能性」なる偉そうなタイトルのブログを書くのは、いかにも説得力が無いし、何だか胡散臭いなぁと思いつつも、少しばかり思う事があるので、今日はそのことについて書く。

昨夜、お腹を壊して、何とかブログを書き上げたのが24時前で、日付が変わる直前から締切間近の脚本に取り掛かった。

色々な意味でケツに火が付いているので、強制的に集中せざるを得ず、1時間程の間に自分でも驚く程の作業量をこなす事が出来た。

「もしかして天才なのではないか?」と錯覚する程である。

締切直前という切羽詰まった状態が集中力を高めているのは間違いないが、日頃、何気なく過ごす1時間と比べてあまりに生産性が違っていた。疲労こそあったものの、眠気も感じず、ある意味でランナーズハイだったのかもしれない。

ふと、中学の時の野球部の先生から貰ったプリントに書かれていた一文を思い出した。

何かをするのにまとまった時間がないと出来ないと思っていたら何も出来ない。

まさに。

「あと1時間しか無いし……」「あんまり時間がない状態でやっても……」なんて言い訳をしていないだろうか?

僕はメチャクチャしてた、今まで。

いかん、いかんぞ。

執筆に1年9ヶ月という時間をかけたが、もっと頑張っていれば、もっと早く書き終える事が出来たかもしれないし、例え同じ期間をかけたとしても、もっと物語の質を高める事が出来たかもしれない。

言い始めたらキリがないし、そんな事を言えば、「物語を作る仕事をしたい」と大学を中退した11年前からもっと自分を追い込んでいれば日本アカデミー賞を獲れているかもしれない。

考え始めると地獄だが、昨日のように作業が捗った日はアレコレと考えてしまう。

時間の可能性を感じたと同時に、何気なく怠惰なまま過ごした数えきれない程の日々が脳裏をよぎる。

別に、「ダラダラするのが悪い!」と言っているわけではない。ダラダラするのも素敵だし、人生における正解が存在しないことを理解出来る程度のアタマは持ち合わせている。

締切まで残り数日。

限られた時間だからこそ精一杯頑張ることにする。勿論、程よく休みながらね。