日記「4年間、一日たりとも欠かすことなく書き続けた日記について」

気付けば日記を書き始めて4年が過ぎた。4年である、4年。次のワールドカップがやってくるし、次のオリンピックがやってくる期間だ。正直、書き始めたのはもっと昔のことのような気がする。1日も欠かさず、何が起きても書き続けてきた。時にまとめ書きをすることはあっても、日付が欠けたことはない。妥協せずに継続してこれたという事実に対しては自分を褒めてもいいのかもしれない。日記を書くという行為は、それほど社会的な意味はないかもしれないけど、僕にとっては大切なことで、楽しく、また尊い行為でもある。スマホやパソコンなどデジタル全盛の時代に、手書きでノートにせっせと書いている。腕も疲れるし、たまに面倒クセェなぁ、なんて思うけれど、あえて手間のかかることを排除すべきじゃないと思っている。次第に楽しさを感じることが出来るようになってきた。効率や合理性とは対極にいるけど、そんなことはどうだっていい。自分の心の赴くまま、進んでいければいい。嘘なくそう思う。

日記にはロマンがある。人はほとんどの日を忘れる。確かに存在した日を、まるで存在しなかったかのように。このブログは、元々は人の影響を受けて書き始めたけれど、日記は自分の内側から書きたい、と感じたことがキッカケだった。いつの日かこのブログは辞めるかもしれないけど、日記は辞めない。確かなことなんて何一つないこの世界で、唯一自分に約束出来る、断言できることは、日記は何があっても絶対に辞めないということ。人生の中で大切な人たちを見送った後、北欧の地で、森の中の家で本と大きな犬に囲まれながら、過去の日記を全て読んでみるつもりだ。日記を読んだところで実際には二度とその頃に戻ることは出来ないけれど、確かに自分が存在したかつての日々に想いを馳せたい。理由はわからないけど、いつかそんな日が来れば満足だし、思い残すことなくこの世から消えることが出来るような気がする。日記を書くという行為は、僕にとって生きている理由を探す旅でもあるのだ。

かつて、「アンネの日記」に感銘を受けた。戦時下、小さい少女が隠れ家の中で、これほどまでに大量の日記を書いていたのかと思うと、恵まれた時代に生きている自分にはもっと出来ること、やるべきことがあるんじゃないかと思った。別に社会のために、世界のためになんて思っているわけじゃない。でも、恵まれてることを自覚して、少なくとも自分とは向き合っていきたいなと、そう思った。最近では、作家の辻仁成さんが書いている日記を読むことも増えた。文字量も多いし、内容にも普遍性を感じるし、何より文章が上手いし、読み応えがある。プロの作家が日記を書くとこうなるのか、と感じずにはいられない。僕も僕なりの、僕にしか書けない内容をこのブログに書いていくつもりだ。手書きの日記は公開出来ないので、よければこちらを読んでいただけると嬉しい。日記、4年継続記念として、今日は日記について語ってみた。では、素敵な夜をお過ごしください。

March 14,2020
I have been writing a diary until today.