日記「時に優しく、時に軽蔑される」

某日、23時を過ぎてようやくパソコンに向かい始めた。あと1時間で日付けが変わる。それまでにある程度この日記を書いて投稿しなきゃいけない。特別何か書くべきことがあるわけでもない。でも一応、毎日書き続けると決めたので、とりあえず出だしを書いてみる。そこからどうなるかは自分でもわからない。次第にノッて色々と書けるかもしれないし、フワッと適度な分量で終わるかもしれない。常に変化する自分自身を、なるべく飾ることなく、このSecond Diaryに書いていければいいなと思う。

ついさっきまで過去に撮影した写真を一気に見ていた。枚数にするとどれくらいだろう、きっと3000枚ぐらいか。この10年ほどの間に撮りためた分である。懐かしい記憶がたくさん蘇った。完全に消えてしまったわけではないけれど、写真を見るまで忘れていた記憶もたくさんあった。当時からずっと連続的な時間軸の上で生きているはずなのに、途中、多くの間が欠落している。そうだ、人間は忘れゆく生き物なんだ、と当たり前のことを再認識する。そう、人は忘れる。忘れることが悪いことだとは思っていない。生きていれば辛い記憶や忘れたい出来事なんかもある。もしそれら全てを忘れられなくなってしまうと精神がおかしくなる可能性がある。その辺、人間はうまくできているのかもしれない。ぼくは罪悪感と比較的近い距離感で生きていくタイプではあるけど、長い時間の中で、繰り返しの日常の中で、ほんの少し物事の解釈を変えて、拡大し、記憶の海の輪郭を曖昧にしてきた。そんな自分をもう一人の自分が客観的に見ている感覚がある。時に優しく寄り添って話を聴いてくれることもあれば、また時には驚く程冷めた態度で接され、軽蔑される。相反する視線、人格に晒されながら、時に現実を忘れるためにぼくは逃避する。現実逃避はある意味、救いでもある。物事はそう簡単に断言できるのもじゃない。それぞれの人の立場によって意味は変わってくる。この日記を読んで、何だか暗い文章だな、と思う人もいるかもしれないし、もしかすると誰かを救っている可能性だってある。そう思えば、ぼく自身、ほんの少し救われたりもする。

それにしても、毎日こうして自分以外の人に向かって「日記」を書くのは難しい。どうしても言葉を選ぶし、これは書かない方がいいな、なんて思うこともしょっちゅう。本当は何でも赤裸々に書いた方が日記としては読み応えがあるのかもしれないけど、なかなかそうもいかない。きっと性格だろう。ふざけてそのままのテンションで書いてしまう手もある。これまでそんな書き方をしたこともあるし、これからも時々はあるかもしれないけど、なるべくありのまま、ぼくはぼくのままでいこうと思い始めた。自分以外の誰かになる必要はない。ぼくはぼくのままで充分素敵だ。もちろん、駄目な部分もたくさんあるけれど。自分の内面を掘りさげることに時間を使おう。掘り下げきれるほど人生は長くないんだから。