日記「幸せって一体何なんだろうか?」

部屋の椅子に座ってボーッとしている。22時を過ぎたのでそろそろ今日の日記を書こうとパソコンに向かったのだが、何やら上手く思考がまとまらなくて数行書いた日記を全て消して一からまた書き直し始めた。以前は一筆書きで書き始めから最後までを一気に書いてそのまま書き直さずに投稿していたんだけれど最近は普通に書き直すことも結構な頻度である。どのように書くか、そればかりに意識が向いていた時期もあるが、今はどちらかと言えば、何を書くか、に重きを置いている。特定のテーマに絞って書く方がブログの性質上は良いのかもしれないし、僕自身ラクでもあるんだけれど、あえてその時々のテーマや瞬発的な思い付きで書くようにしている。特に日記というカテゴリーを書くのは自分とちゃんと向き合わないとそれなりに書くのが難しいので、あえてそのハードルを自分自身に課している部分もある。気を抜くとラクをしがちであるということを知っているのだ。

某日、僕は夜の公園でベンチに腰掛け、新宿の方角を眺めていた。中野区に住んでいた頃、自宅から西新宿まで歩くことが多くて、その途中にある日ふと発見した公園である。今でも時々散歩を兼ねて同じ道を歩くことがある。これまで何度か日記にも書いてきたけど僕は歩くのが好きだ。ゴチャゴチャと散乱した思考が整理され、頭がスッキリしたりする。答えがない問題を考えたり、過去の記憶を引っ張り出すのに最適なのだ。あとは漠然とした不安を感じたりした時もなるべく歩くようにしている。歩くことはストレスの解消にも効果があるかもしれない。この公園は坂の途中にあって疲れた時なんかは少し立ち寄ってはベンチで休む。この日もベンチで一休みしながらスマホを取り出して写真を撮った。

この公園に来るといつも思うことがある。あの高層マンションには一体どんな人が住んでいるのだろうかと。とてもじゃないけれど僕が住めるような値段ではないだろうし、「投資家? それとも社長?」と思いを巡らせてみるものの上手くイメージが出来ない。部屋の明かりがついているということは当然ながら誰かがそこに住んでいるわけで、世の中にはスゴイお金持ちがいるんだなぁ、と誰もが考えそうなことを考えている自分に気付いて、あぁ、と溜息を漏らす。見上げるばかりの人生は嫌だなと思いつつ、とはいえ自分があそにのぼれるイメージは全く湧かなくて遠く離れた公園からひとり高層階とその背景である新宿の空を見上げている。

幸せって一体何なんなんだろうか? その時々によって自分の中でも幸せの形が変わるし突如見えなくなったりする。自分なりの哲学をちゃんと確立している人であれば迷ったり悩んだりする機会は少ないかもしれないけれど、僕自身は頑固で曲がらない部分も人一倍あるけれど、グラグラでどうしよもない部分もたくさんある。また、そんな自分が案外嫌いじゃない、ときた。つくづく厄介な性格である。困ったものだ。