日記「俳優、水井章人さんと」

某日、6年前に台本と演出を担当させていただいた舞台、「Good Day Sunday」に主演として出演いただいた俳優の水井章人さんと新宿で会ってきた。実に数年ぶりの再会である。最後に会ったのは、こちらも舞台「Good Day Sunday」に出演いただいた役者さんが出演する別の舞台を観劇した時で、舞台終わりに居酒屋に流れ込んで語り合った記憶がある。かれこれ4、5年ぶりぐらいだろうか。待ち合わせ時刻に颯爽と現れた彼と握手を交わした。まるで少年のように爽やかな笑顔はあの頃と全然変わっていない。しばらく新宿の街を歩いて居酒屋に入った。平日の夜にも関わらず店内は大勢の人で賑わっていて随分騒がしい。でもそれぐらいが丁度いい。店内が静かだとなんだか緊張するし周りにも気を遣わなくてはいけない。水井さんとは色々と話したいこともあった。積もる話というやつ。とはいえお互い数年間の空白期間があるので緊張を和らげることも考えればそれなりにガヤガヤしたお店で良かったのかもしれない。小腹が空いていたこともあって食事をメインにしてアルコールは控えようと思っていたけれど、気付けばビールを注文し、話が弾むペースに合わせてハイボールをガブガブと飲んでいた。

あらかじめ断っておくと僕自身それなりにお酒も回っていたし(なんてったってガブガブ飲んでいたからね!)、無我夢中でずっと話していたので話した内容を自分のいいように捻じ曲げて解釈しているかもしれない。その可能性はある。もし水井さんが今日のこのブログを読んでくれたとしたら、「いやいや、そんなこと喋ってないっす!」てなことになるかもしれない。出来ればそれはそれで許していただきたい。僕にはそう聞こえたということなのだ。

僕らは演じ手と作り手である。役割こそ違えど本質的には向いている方向は限りなく近いと思っていて、何もないところに世界観を立ち上げていくという意味では共通の目的がある。僕は台本を書く側だからまずは文字で世界観を提示し表現する。それを水井さんたち俳優が自身の身体を駆使し、解釈を用いて具現化していく。それがベースにある。感覚や感性は人によってそれぞれ違うけどどこか共通言語に似たものを持ち合わせている。全てを言葉にしなくても感覚で互いに分かり合える部分があったりもする。同じようなことで悩んでいたりもするし、へぇそんな風に考えるんですね、と勉強にもなる。もっともっと学ばなきゃいけないな、と思わせられる。当時、一緒に舞台を作り上げていた日々について思い出話もしたし、その後どのようにこの数年間を生きてきたかなど、とにかく時間の許す限り僕らは語り合った。幸せってなんだろうか。生きるってなんだろうか。年齢を重ねることに対してどう思うか。死に対して自分なりの哲学を持ち合わせているか、などなど。似ている部分もたくさん発見したし、また全く考えが逆の部分があったりもした。個人的には何かの答えを出すことにはあまり意味を感じていない。答えのない問題を話し合って、ああでもないこうでもないと、自分なりの解釈を深めていくのが楽しい。それはある意味で僕にとっては生きることそのものであるとも言える。勿論、程度の差こそあれつくづく僕らは合理的には生きられない。世間一般的に「無駄」と一括りにされるものに興味が湧きがちだし迷子になること自体を楽しめる。時に不安に苛まれて身動きが取れなくなったりもするけど、無意識的にはそれすらをも求めている。近道を求めていなくて寄り道の最中に見つける新しい発見に魅了される。変わった人種なのかもしれない。

舞台当時、20代半ばだった僕は30歳をこえたし、20代前半だった水井さんは30目前。お互いに歳を重ねてきた。久々に会った彼は言葉をこれまで以上に丁寧に選んで話していたし、その自分の感覚に素直であろうとする姿勢に、僕も見習わなきゃいけないな、と思った。僕もなるべく自分の感覚を正確に伝えようと意識はしているけど、どうしても回りくどくなってしまったりするし、もっとはっきりしたら、なんて言われることもある。その点、彼はスマートだった。言葉にはその人の人間性が出る。本当に正確に物事を伝えようとしたり相手を想って発した言葉なのか、はたまた自分のためにある種打算的に発した言葉なのかはすぐにわかる。自分自身でもわかるしこの辺は僕は敏感な方だ。僕は自分が怖がりで臆病な人間であることを彼に伝えてみた。水井さんはどう思うのかをきいてみたくなったからだ。彼はしばらく考えた後、いくつかの言葉を僕にくれた。そして最後に、「臆病でいいと思いますよ。臆病な人しか歩けない道があると思います」と言った。素敵な哲学だと思った。「僕は口ベタなんで。まぁ、杉本さんもですけど」と、彼は微笑んだ。