日記「中野の桜は、出会いと別れ」

夜から電車に乗って新宿まで出て、先日まで住んでいた中野まで歩いた。週末になると無性に歩きたくなる。今夜もそうだった。1時間ほど歩いて中野に着き、久しぶりにやよい軒に入った。馴染みの席に座り、唐揚げ定食を注文する。上京後の2年間でかれこれ数百回は食べたであろうメニューである。特に明確な目的があって中野まで歩いたわけじゃない。なんとなく、である。最近、僕はなるべくこの、なんとなく、を大切にするように意識している。突如、自分の内側に生まれた微かな欲求を理性でかき消してしまわないように、なるべくきちんと見つめるようにしているのだ。理由はわからない。

食べ終えた後は近くの書店に入り、気になった本を数冊手に取ってみた。著者も違えば内容も違う。その内の一冊をダーッと最初から最後まで立ち読みした。昔、読んだことがある本のマンガ版だったので、買わずに立ち読みで済ませることにした。

諸々まだやることが残っているので早めに帰ることにした。中野の街を駅に向かって歩く。そういえば、もうすぐ桜の季節だな、と思った。中野の桜は美しい。上京してすぐの頃はあまりの美しさに本気で驚いた。駅から北へと伸びる道路の両側に数百メートルはあろうか、ずっと桜の木が並んでいて、満開の時期は本当に美しい。なぜ桜に魅了されるのだろうか。日本人の精神が無意識に引き寄せられるようになっているのか、あるいは別の理由があるのか。中野に住めたことは幸運だった。美しい桜を毎日間近で見ることが出来たから。可能であればまた戻ってきたい。上京して一年目と二年目の中野の桜は僕にとっては異なる意味を持っている。一年目、桜が咲いていた頃には出会いがあったし、二年目は大切な人を亡くした。僕にとって中野の桜は、出会いと、別れだ。共通して言えることは、そのどちらもが唐突にやってきたし、どちらの日も桜は美しく咲いていたということ。散って尚美しく、誰も見向きもしない路地裏の地面に敷き詰まっているのを見ては、そこに桜の優しさを感じる。世界に寂しい場所を作らないぞと、そう主張しているようにも見える。もうすぐ桜の季節がやってくる。その時また、中野へと足を運んでみることにする。三年目の桜は、出来れば幸せを運んできてほしい。