日記「コロナウイルスへの恐怖は、また別の恐怖を生む」

今日は4年に一度やってくる2月29日である。今日が誕生日の人は、毎年どのタイミングを誕生日とカウントしているのか気になった。考えてみれば不思議だ。2月28日の段階ではまだ誕生日じゃなくて、日付が変わった瞬間、誕生日が過ぎている。どんな感覚なんだろうか。もし2月29日が誕生日の人に会えることがあれば訊いてみたい。それに、なんだか、物語のテーマとしても使えそうである。

さて、29日、つまり今日は肉の日だ、という発想から夕食に肉を食べることにした。午後から駅前に行く予定があったので、いくつかスーパーを回ってみる。食材を吟味しながら、どこが安いか調査しようと思っていたにも関わらず、なんだか異様な雰囲気を感じずにはいられない。連日、コロナウイルスのニュースが多くて、子供達の学校を休校にする、しない、といった問題から、スーパー内での買い溜めなども話題になっているが、今日行ったスーパーもきっちりその影響が直撃していた。比較的広い店内にも関わらず大量の食材が消え、そこに大勢の人が買い物に来ている。ティッシュなどは勿論、お米やスナック菓子までが消えている。お米は理解できる。スナック菓子まで消えるとは変な感じである。

未知のもの(コロナウイルス)に対する恐怖から買い溜めに走る気持ちもわからなくはないが、本当に必要な人が買えなくなる可能性が出てくるので必要以上に買い溜めすることには賛同できない。気持ちはわかる、恐いし。でも、買い溜めをする前に、それが果たして正しい行為か、と自分に問うてみる余裕ぐらいは持っていい。その上で、その答えがイエスなら買い溜めをすればいい。それはそれでいい。僕は賛同できないけれど、そこには個人の考えがある。それを否定するつもりはない。ただ、転売で利益を得るために買い占める行為は否定する。商品の値段に対して何倍もの送料を提示する人達もいるようだ。そこまでしてお金が欲しいか、と思わずにはいられない。本当にピンチな時は、人は助け合えると思っている。それがたとえ見知らぬ人達同士であってもだ。そこには人間の希望がある。だが、こういう状況を見せつけられると、人間の本質的な部分にある、黒くて、ずるい感情も見え隠れする。だからと言ってそれに対して失望はしない。基本的には人はそういう部分を多く持ち合わせていると個人的には思っている。どちらかと言えば、そんな自分自身のある一面を認めない盲目で厚かましい性格に怖さを感じる。コロナウイルスが怖いのはわかる。それはそうだ。僕だって怖い。だって未知のウイルスなんだから。でも、恐怖は連鎖しやすい性質を持っているし、必要以上の恐怖を生み、それによって惑わされたり二次的な混乱を引き起こす可能性がある。今回のマスクが大量に消えたり、テッシュがなくなったりするのはまさにそれで、ひとりひとりが少し冷静になるだけで状況は大きく変わるはずだ。少なくとも混乱は緩和される可能性が高い。なにもそれは無関心になれ、用心するな、ということではない。一旦、冷静に考えようという話だ。こんな風に書いている僕だって、コロナウイルスには感染したくないし、出来ればなるべく感染が拡大しないことを祈っているけど、すでに感染者数が増え、死者も出ている状況を踏まえると、なるべく冷静に対応していくしかない。それは自明である。事情があるのもわかるし、一概に何かを結論付けたり、解決策を提示することは難しいけれど、少なくとも一旦冷静になって今後のことを考えることに対してはデメリットはないはずだ。

どうやら本日、安倍首相が会見を開くらしい。たぶん、僕がこの日記を書いている今まさにこの瞬間に。国民への呼びかけ。政府の対応には思うことも人それぞれあるとは思うし、総理への批判も方々から聞こえてくるけれど、国民は国民で自分のことばかり考えているんだから、まあ、ある程度はお互い様じゃないかな、とは思う。まあ、それが僕の意見だ。

最後に、さっき帰宅する前にパン屋に行った。美味しいパンが並ぶ素敵なお店だ。店内には相変わらずゆったりとした時間が流れている。情報はきちんと取得して最大限、気をつけるべきだとは思うけれど、コロナウイルスへの恐怖に必要以上に振り回される必要はない。相変わらずゆったりと時間が流れ世界もある。冷静さを失い、自分のことしか考えられなくなったら、別の世界で生きるのも悪くないんじゃないかなとは思うけど。みなさんは?