日記「もしも、あなたが毎日文章を書いたなら」

某日、日記を書こうとパソコンに向かったものの、そういえば今日は写真を撮っていないな、と思いスマホに入っている過去の写真を見返していた。随分たくさん撮っているなと我ながら感心する。最近は純粋に心が動いて撮りたいと思う瞬間がほとんどない。写真を撮ることに意味を見出せていないのか、あるいは目の前の光景を写真ではなく目に焼き付けようとしているのか。後者の要素もなくはないが残念ながら大部分は前者だ。そういえば自分の写真もブログに上げなくなった。特に明確な理由があるわけではなくて、何となくあげる理由が見当たらない。一時期は自撮りをしてブログにアップして時々ふざけたりしながら、誰かが楽しんでくれていたらいいなと思っていた。きっと変化してきたんだろう。当時のような文章を書きたいとは思わない。少なくとも今は。ブログを書き始めて1年半が経った。まだ1年半か、という感じである。感覚的にはもう何年も何年も書いているような気がする。

毎日こうして文章を書いていて僕が感じることを、あなたは想像できるだろうか? 仮にあなたが僕と同じようにこうして毎日文章を書いたとしたら、一体何を考え、何を感じるだろうか? よければ少しばかり想像してもらえると嬉しい。

僕は書けば書くほど自分という存在がわからなくなる。書くことで思考が整理されて自分自身への理解が深まることもある。これは確かに間違いない。でも、それ以上に自分が常に変化に晒されていることを感じずにはいられない。良い変化とか悪い変化とか、そう簡単に括ることの出来ない類の変化である。昨日は〇〇と思っていたことを今日は△△と感じていたりする。そしてそんな自分に気付く。一貫性がないと言えるかもしれない。要するにブレている、と呼ばれる状態である。毎日そんなことの連続だ。混乱することもあるし、強烈な孤独感や不安に苛まれることもある。常に自分の弱さと背中合わせになりながらそれを誰かに悟られないように生きる。そう悟られたくないのだ。誰かとワイワイ騒ぎたい時もあれば、突如ごく近しい人を除いて誰にも会いたくなくなったりする。不思議だ。人の温かさに触れてそこに希望を見出したかと思えば、直後、どうせお前ら自分のことしか考えてないんやろ、と怒りの感情が出てくることもある。その怒りの対象に自分自身の一部が重なって自己嫌悪を感じたりすることもしばしば。僕は自分自身に怒っているのかもしれない、なんて思うこともある。写真を見ながら思い出したのは葛藤していた頃の自分だ。なんとか現状を打破したくて自分ではない誰かになりたかったんだと思う。自分に自信がないからだ。別にそれを恥ずかしいとは思っていない。理屈でわかっているのと、実際にやってみて、あ、違った、と思うのは似ているようで異なる。そんな試行錯誤を自分なりに重ねてきたんだ。自己嫌悪と自己否定の繰り返し。だがこれからは少しでいいから自分を認めてあげようと思い始めた。誰かになる必要はないし、自分のままでいいじゃないか、と。良くも悪くもネットで世界が繋がったから常に比較対象がある。あの人と比べて自分は・・・というやつだ。まともに向き合うと疲れる。そんなものは必要ない。昔からよく人は人、自分は自分と言った。今の時代の中では見失いがちだけれど本質的な言葉なんじゃないかと思い始めた。他人とぶつからないと分かり合えないことも沢山あるんだろうけど、わからなくてもいいからぶつかりたくない、という人生もありだ。僕はきっとそんな人生の方が心が休まる。ふと海が見たくなったよ。