日記「なるべくありのままを」

毎日こうして文章を書いていると嫌でも自分と向き合うことになる。最近は特に日記のような内容や自分の内側にある感情を言葉にしたりしているので尚更そう思う。書き始めた頃と比べると内容も随分変化してきた。気付けば600記事をこえた。正直なところどれくらいの人が読んでくれているのかは把握していない。元々は閲覧数をこまめにチェックをしていたし、少しでも多くの人に読んで欲しいと思って試行錯誤していたけれど、最近はあまり深く考えていない。勿論、全く考えていないことはないけれど、その辺を考え始めると思うように書けなくなる。格好をつけたり言葉を飾ったりしてしまう。読み物としてはそれはそれで悪くはないのかもしれないけれど、どこか自分の中で引っ掛かるものがある。なので今は必要以上に考えていない。

ふと思った。無名の世間では誰も知らない男が毎日書く日記に果たして価値があるのだろうか。自分で書いていながらこんなことを言うのもあれだけどほとんど無いような気がする。僕にとっては価値があるけれど、控え目に言って周囲の人達に何かメリットがあるかと言えば多分ない。少なくとも社会的な価値はほとんど無いと言える。だが、もし無名の世間では誰も知らない男が毎日書いた日記が50年分あればどうだろうか。一つ一つには価値が薄くても大量に集まれば一定の価値は出るかもしれない。これは何も僕の文章に価値を持たせようと思っているわけではない。毎日名前も知らない誰かに向けて書くという行為が、そう考えることによって僅かに僕の中で価値を持ち始めるのだ。人は多くを忘れていく。自分が思っているよりももっとたくさんのことを忘れていく。覚えている、あるいは忘れていないと錯覚をしているに過ぎない。本当は、ほとんどのことを忘れてしまっているのだ。僕なんて一昨日の夕食すら今すぐパッとは思い出せない。

自分のままでいることは想像以上に難しい。誰かを羨ましいと感じたり、自分以外の誰かになろうとしたりすることもある。この数年、僕自身、色々と迷ってきた。今でも迷っているし、きっと今後も迷うことになるんだろうと思う。でもそれならそれでいい。それはそれで悪くない人生だ。彷徨い続けてスタート地点に戻ってもいいし、どこにも進めなくなって途方に暮れても構わない。でもその代わりなるべく自分に嘘をつきたくないと思う。言うのは簡単だけれどこれは結構難しいことだ。自覚している。こうして書き進めていくと話が脱線したり何を言いたいのかわからなくなったりする。自分の文章を読み返してみて、よくわかんないな、と思うこともよくある。まあ、それはそれでいいような気がしている。常に変化する可能性があるということだし、安易に何かを結論づけたりしたくない。予測不能でいたいし、そもそも人生とはそういうものだろう。探求して探求して、気付いたら歳を取っていて、そのまま死んでいきたい。僕の毎日がもっと冒険に溢れていれば色んな出来事をここに書けるんだろうけど、なかなかそうもいかない。ご飯を食べるために働かなきゃいけないし、それなりに同じような繰り返しになる。どうしても精神的な話に偏りがちなところもある。読んでくれている人からすると、読みにくいな、と思っているかもしれない。もういいよ、と。もしそうなら申し訳ないと思うけれど、自分に正直に生きようとするとこうなってしまう。僕自身、こうして書く中で自分と向き合っているのだ。冒頭にも書いた通り嫌でも向き合うことになる。見つかるのは嫌なところばかりだ。発見するのは嫌なところばかり。自分を褒めてあげれるようなところは正直言ってあまりない。その都度、ヘコんだりもするけど、でもやっぱり僕は書くことが好きだ。楽しいことばかりじゃないけど好きだ。この言葉に嘘はない。たとえ誰も読まなくなっても書くことはやめない。それだけは断言できる。なるべく素のままをお届け出来ればと思う。僕にとってこのブログに文章を書き続けるのは尊い行為なのだ。でも、あなたは違う。僕のブログを読むことよりももっと大切な事があるだろうし、大切な人とかけがえのない時間を共に過ごして欲しい。時々、暇があればまたその時はブログに遊びに来て欲しいとは思うけれど。きっと僕は変わらず書き続けているはずだ。少しは自分のいいところも見つけられたら。