偉そうな「大人たち」へ

昨日、バイトを終え、大急ぎでJR山手線に飛び乗り品川駅へ向かう。

数年ぶりに大学時代の友人に会い、お酒を飲むためだ。

先に申し上げておくと、「楽しくお酒を酌み交わし互いの近況報告をする」予定だったものの、途中から話が白熱し、飲み会ではなく「議論」の様相を呈し、あろうことか寿司屋で興奮し過ぎて、完全に2ショット写真を撮り忘れた。

バカなの?

日頃から、毎日ブログを更新しているので、どうしても写真が自分(自撮り)ばかりになる。

「ナルシストなの?」
「てか、飽きた!」
「おっさんの顔をFacebookで見たくない」

など、散々な言われようだが、昨日こそ友人との2ショットを撮り、それをブログに載せれば「変化」にもなる。

だが、先程書いたように議論が白熱し、完全に忘れてしまった。
やはりバカなのだろう。

ちなみに、

「ナルシストなの?」
「てか、飽きた!」
「おっさんの顔をFacebookで見たくない」

などは見知らぬ人ではなく、友達から言われた言葉である。
「冗談」あるいは「愛情」だと捉えたいところだ。

さて。

ちょっぴり前置きが長くなったが、昨日はリアルに熱く語りあった。

開口一番、

友達「ブログたまに読んでるけど、病んでんの?」
ボク「病んでる?」
友達「病んでる感出てるで?」
ボク「マジ……?」

病んでいるつもりはないし(本当に病んでない)、なるべく本音で書いているつもりなのだが、それが「病み」として伝わってしまっているらしい。

難しい問題だ。

二軒目の寿司屋ではカウンターで熱くなり過ぎて、寿司を食べることも忘れてハイボール片手に激論。
完全に面倒くさい男2人であることは間違いないのだが、こちとら真剣だ。

「わかるよ〜、そうだね、そうだね」なんて無難な相槌はない。

大学時代、同じ研究室(杉本は実は理系だった)に所属していて、僕は浪人して大学に入り、彼は現役で合格していたので、年齢的には僕が1つ上、つまり僕が人生の先輩であるにも関わらず、一切の遠慮はない。
完全に僕の息の根をとめる勢いで迫ってくる。

彼は研究に従事し、論文を書く。
僕は物語を考えて、脚本を書く。

取り組む対象こそ違えど、共通点も多い。

だからこそ、議論は平行線をたどる。

勿論、根底には互いへのリスペクトがある。
それは「仕事」や「立場」といったものに対するものではない。

「人間性」というある意味、根幹をなす部分に対するリスペクトだ。

だからこそ、しっかり彼の話も聞くし、違うと思ったとこは「違う!」と言う。
勿論、それは彼も同じだ。

結構遅くまで飲んだ。
有意義な時間だった。

解散した後、一人物思いに耽りながら街を歩く。

この辺りが「ナルシストだ!」と言われるところの一つなのかもしれない。
遠くに東京タワーが見える。

地元で頑張っている友達も好きだけど、大学で出会った友達も好きだ。

今でも大阪に戻ると、ふらっと大学に足を運ぶ。

大学は最後の1年は中退したんだけど、やめる直前は正直どうすべきか迷っていた。

「1年でも早く自分の夢を追うためにスタートをきる!」という一見カッコイイ自己満の理由はあったものの、予備校で浪人までして何百万円も奨学金という借金を背負っているにも関わらず、「卒業」ではなく「中退」を選ぶ。

簡単に言えば、その判断に「ビビってた」わけだ。

そんな日々の中、別の友達と語っていると、その彼が唐突に自分が持つハンディキャップについて語り出した。
正直なところ、僕はそれに気付かなかった。
それは、彼の努力がそうさせていたのだ。

何より、僕に打ち明けてくれたことが嬉しかった。

「杉本は両腕があって、両足もあって、ちゃんと目も見えるやろ? 健康も何一つ問題ないやん。中退ぐらい……何をビビる必要があるん?」

その言葉で「大学中退」を決めた。

大人になると、人は自然と疎遠になる。
そりゃそうだ。
だって自分の生活がある。
結婚するやつもいれば、子供ができるやつもいる。
事情なるものができるのだ。

だが、どこか寂しい部分もある。

「大人になっても、ずっと友達でいよう」
「これから先、ずっと一緒にいよう」

この言葉を本当に大切に守れてきた大人がどれだけいるだろうか?

子供時代の、学生時代の、あるいは純粋だった頃の気持ちに蓋をして、大して理解していない「現実」なる便利な言葉を持ち出して、あらゆる対象に目を背ける。

それがあなただ。

もちろん、僕でもある。

そう、偉そうな大人たちなのだ。

僕は文章を書くうえで、嫌という程、「過去」に目を向ける。
今だってこの文章を書きながら大学時代に思いを馳せている。
10年だ。

綺麗事でもなく、ポーズでもなく、一般的に人が「1」過去を振り返っているなら、大げさではなく僕は「100」は振り返っている。

つくづく痛感する。

人は残酷なほど、過去を書き換えるし、忘れる。

だからこそ、少しでも「夢を追うぞ!」と決意した瞬間を忘れないように、今でも大学に足を運ぶ。

勿論、僕は高尚な人間じゃないから、その決意を忘れてる瞬間もある。
ダラダラすることもあれば、お酒を飲みすぎて正体不明になっていることもある。
「脚本、書かなきゃなぁ〜」と思いながら、部屋の掃除を始めたり、寝たりする。

でも、それを、そんな自分を許す代わりにせめて「自己嫌悪」には陥りたい。
でなきゃ、大学を中退する直前、「死ぬ気でやるぞ!」と燃えていた自分に顔向けできない。

……ヤバイ。

昨日会った友達の言う通りかもしれない。

病んでるのかも。

目が完全にイっちゃってる杉本氏

今日のブログは長々と書いてしまった。

読んでくれた、偉そうな大人たち、ありがとう。
素敵な休日を。

【note】
深夜の東京で脚本を書く杉本達哉が、『アカデミー脚本賞』なる、現在地からどんでもなく遠いところにある「夢」を掴む為に奮闘する日々の記録。

杉本達哉の書斎

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