ポケットの奥には僕だけしか存在しない世界

大阪4日目である。部屋のクローゼットを開くと懐かしい黒のジャケットを見つけた。10年程前に母親に買ってもらったものだ。数年ぶりに袖を通してみた。うん、悪くない。まだ20代の頃、随分とお世話にはなったジャケットなのだが、当時は少しばかりサイズが大きいような気がしていたし、おじさんっぽい印象もあった。そのジャケットが30代に入った今、ちょっぴり似合いつつある。体型はほとんど変わっていないにも関わらず似合い始めたということは、確実におじさんになっているということの証明でもあるのだろう。

ふと、ポケットに手を入れてると、何かがある。「ん?」と思って取り出してみると、空っぽになった煙草のソフトパッケージが出てきた。マルボロ赤のパッケージ。僕は29歳最後の夜に煙草を完全に辞め、以来、一本たりとも吸っていないので(もう2度と吸わない!!)、少なくとも2年以上はずっとポケットに入っていたことになる。いや、待てよ、このジャケットを頻繁に着ていたのはもっと前だから、3年以上、もしかすると5年程経っているかもしれない。まあ、最低2年は経っている。時間経過。持ち主である僕にさえ気付かれずに、ずっと2年以上ポケットで眠っていたんだなと思うと、何やら感慨深い。2年前といえば僕はまだ大阪で暮らしていた。上京してからも本当に色々なことがあったけど、その間もずっとポケットに居たわけだ。たぶん……たぶん? 何だろう、この感覚は。

僕が普段存在している場所とは別の、目に届かない場所で同時並行的にこの世界に存在しているという事実。ニュアンスは少し違うかもしれないけれど、懐かしい友人と久々に再会した時のような、そんな感覚がある。このブログを書き始めた頃を境に、数年ぶりに懐かしい友人に会う機会が増えた。勿論、最後に会ってから時を経て再会するまで、僕は僕の人生、毎日を生き続けてきたわけで、友人は友人で、友人の人生、毎日を生き続けてきたわけだ。まぁ、当たり前といえば当たり前だ。同じ世界、もっと言えば、同じこの地球上に生き続けてきたからこそ、再会出来たのだ。長い空白の期間を経て再会する。でも、またその時間、空白の期間を確かめることが出来ないのも事実だ。僕は、存在している。友人もきっと存在はしていたんだろう。頭ではそう理解出来るものの、実際に自分の目で確かめたわけじゃない。もっと言えば、普段の日常生活においても、友達やら同僚と、「お疲れ、また!」と別れて、僕の視界から、彼ら、彼女らが離れた瞬間、僕以外の人がこの世界で動いている確証はどこにもない。昔から、ずっと思っている事がある。実は、本当はこの世界に生きているのは僕だけなんじゃないだろうか? ということ。僕の周辺にあるこの世界は、僕が認識している瞬間にだけ存在している、ある種の幻ではないのか、という仮説。ありえない、と感じるかもしれない。僕も基本的にはそう思っている。でも、本当のことを確かめることが出来ないのもまた事実で、ゆえに、この世界に僕は一人じゃない、という確証はどこにもない。いつもいつもこんなことを考えて生きているわけではないけれど、ふとした瞬間に考える。もう何年間もずっとだ。今回、ジャケットのポケットから煙草のソフトケースを見つけた時、過ぎ去った時間経過に想いを馳せた。でも、同時に、今この瞬間ポケットに現れたんじゃないか? とも思った。何だろう、この世界は。