ちょっぴり真面目に語る

平成最後の日、新宿駅で壁に立てかけられた1本のバラを見つけた。

この状況から考えられる物語は無数にあって、そこに「正解」なるものは存在しない。

僕が考える物語と、このブログを読んでくださっているあなたが考える物語は、ほぼ100%に近い確率で異なるハズである。

なぜなら僕とあなたは違う人間だからだ。

育ってきた環境も違えば、歩んできた人生も違う。当然ながら物事に対する価値観も違うだろうし、想像力を働かせる際の一連のプロセスも異なる。

どうだろう?

たぶん、今、僕は当たり前のことしか言っていない。

もう一度、最初の写真に戻る。

この状況から考えられる物語は無数にあって、そこに「正解」なるものは存在しない。

本日2回目だ。

大切なことは何度も伝えることがある。

さて。

ここからが本題である。

基本的に“完全に同じ人間”は居ないわけだから物事に対する「考え方」や「意見」「好み」などは完全には一致しない。

これは毎日ブログを書いていてつくづく感じる。

僕が「上手く書けた!」と思った文章に対して「面白い!」と言ってくれる人もいれば「つまんない!」と真正面からぶった斬られることもある。

つまり、「曖昧で不確実なこと」が多いということである。

全ての人の支持を集めることは出来ない。

結局のところ、僕が正しいと“現段階で正しいと感じている”方法をとるしかないのである。要するに僕の好きに書くしかないということだ。

数日前のブログで、的外れなアドバイスに関しては、「うるせぇな。んなこたぁ、わかってるよ!」とちょっぴり攻撃的に書いたが(これは本音ね!だって人間だから)、実のところそれなりにちゃんといただいたアドバイスに対しては考えているし、参考にさせてもらうし、感謝もしている。

気にかけてもらっているだけでありがたいのである。

けれど、何の根拠もない「〇〇とはこうあるべき!」みたいな意見は盛大に無視をさせていただくか、「僕はそうは思いません」とキチンとお伝えさせていただくことにしている。

何やら偉そうな杉本氏

道徳や善悪なるものは解釈によっていかようにも変化する可能性を秘めていると思っているので、極端な意見や断定的な意見は、個人的にはあまり好きではない。

結局、思考停止を招く。

それらは「あなたの意見」ではなく「世間の意見」である可能性がある。

物事の本質を見逃すことが多くなるし、実はそこには「別の解釈」が存在しているかもしれないという想像力すら殺すことになり兼ねない。

ちなみに、先日、友人にこう言われた。

「ブログがタイムラインに流れてきても面白くないから読まない。もっと内容を充実させないと宣伝にならないよ」

と。

勿論、僕の為を思って言ってくれたので最大限感謝をしているし、キチンと最後までアドバイスを聞いた。

んでもって、僕もキチンと考えていることを伝えさせてもらった。

「つまんないブログが流れてきた、と気にかけてくれている時点で僕にとっての宣伝は成立している」

と。

別に友人の意見が間違っていたわけではない。

「別の部分を見ていた」あるいは「宣伝に対する解釈が違う」ということにすぎない。

だって違う人間だからね。

まあ、でもちゃんと読んでもらえるように頑張るよ(*^^*)

【note】
深夜の東京で脚本を書く杉本達哉が、『アカデミー脚本賞』なる、現在地からどんでもなく遠いところにある「夢」を掴む為に奮闘する日々の記録。

杉本達哉の書斎

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