ただ何となくシャッターを押していただけ

最近、寝落ちて投稿をすっ飛ばす頻度が増えてきて、「決めたことさえ守れないの?」と自分に対して嫌気がさすこともあるが、とはいえ腐っていても仕方ないので(そもそも腐ってないけども)、「よし2回目の投稿をするか!」と文章を書き始めた。

現在、23時10分。

冒頭の写真について少しだけ。

先日、パソコンを開けたまま部屋の電気を消してみたところ、すぐ隣に置いていたスマホの画面にパソコンの画面が映り、凄くシンプルな言葉で言えば「綺麗だな」と思って写真を撮った。

部屋の電気を消す前は全くスマホの画面に映った東京タワーの存在には気付かなかったけど、真っ暗になって、周囲の明かりのほとんどが消えて初めて気付くことがある。何だがそんな風に言われているような気がした。

同時に、

「撮りたい!」と衝動的に感じて写真を撮ったのは久しぶりな気がする。

一時期、ある種義務感に似た感覚によって色々な写真を撮ってはSNSにアップしたりしていた。別にそれ自体が間違いだったとは思っていないし、今後また色んな写真を撮る可能性はあるけど、今になって当時を振り返ると外部に発信することで反応があったり(これはメチャクチャ嬉しいし、ありがたいこと)、誰かから「良いね」と言ってもらえることに価値を見出すようになり、『本当に自分が撮影したいもの』を撮れていたかと言えば全くそんなことはない。

きっと、自分は何をしたいのか、何を撮りたいのか、この一番大切な部分に対して思考を停止させていたような気がする。

無駄だったとは思っていない。
ただ、何をやっていたのか、とは思う。正直。

自分と向き合うのが得意な人も居るだろうが、僕はなかなか上手く出来ない。物語を作る(脚本を書く)過程では、必ず自分と向き合わなきゃいけない。それが自分なのか、自分がこれまで歩んできた人生なのか、正確にはわからないんだけど、とにかく向き合う。登場人物は自分とは別の人格を持っているけど、必ず自分(僕)の一部が投影されている。

ハリウッドの脚本術の書籍に興味深い一文がある。
初めて読んだのは、多分5年程前で、その時はよく意味がわからなかった。

そこにはこう書かれている。(正確な表現は違うかも)

脚本執筆の過程において最も難しいのは、何を書きたいのかを知ること

何を書きたいか?である。

書き方、スキルが最も難しいのではなく、何を書きたいのかを知ること。
これが最も難しいと言われている。

何を書きたいか?
書くのは自分(この場合はボク)なのにも関わらず。

つまり、

それほど、自分を知ることは難しいという意味として解釈している。

写真についても、ただ何となくシャッターを押していただけ。
そこに明確な理由も、自分への理解もない。
ただ、何となく。
それだけ。
でも、それはそれで悪くない。感性に従ったと言えばそうなのかもしれない。

何だかとりとめのない話になってしまったかもしれないが、冒頭の写真からそんなことを考えてみました。

んじゃ!