【英語】例え錯覚と勘違いでも

ウダウダとしていたこともあって24時までにブログを更新することが出来なかった。

一応『毎日更新』を謳っているので金曜日(本日)に2度投稿することにする。これで少なくとも更新回数の合計にズレはなくなる。完全に自己満足の世界である。

さてと。
日頃からちょくちょくとブログに書いているので「あー、聞いたことある!」と思う方もいるかもしれないが、ここ最近映画を鑑賞する時は『字幕』を付けていない。完全に英語のみ。別に調子に乗っている訳でも格好を付けている訳でもないしアメリカにかぶれている訳でもない。

これまでも「英語を勉強したい」と漠然と思った事は数え切れないほどあったけど当然の事のように毎度挫折。いや三日坊主と表現する方が正しいかもしれない。「ダイエットする!」と宣言した人が実際にダイエット出来たところを僕は見たことがないような気がする。まあそれに似ている。

「勉強するぞ!」と気合いを入れれば気合いを入れる程、継続出来なかった時に「あぁ……今日はいいか」と妥協することになる。これはあくまで僕の話。一般論に通ずる部分もあるかもしれないが。大して勉強もしていないクセにくだらない完璧主義的な一面が顔を覗かせ辞める言い訳を探し始める。

こんなことをこれまでアホみたいに繰り返してきた。

どこかでこの連鎖を断ち切らなきゃいけないし、自分なりに色々と考えた結果「これから先の人生、映画を観る時は字幕を外そう」と決めた。そうすれば必然的に英語に触れることになる。(映画館で観る場合の字幕はOKとした!)

実際に字幕なしで映画を観始めていくつか発見があった。
一つは、内容(会話)の大部分はわからないので途中で嫌になるかと思ったけど僕の場合はむしろ逆で「英語を理解できるようになりたい」と思うようになった。好奇心が刺激されている。この言葉が近いような気がしている。

とはいえ、今の段階では英語については「あれやこれや」となるべく手を付けないように意識的にしている。あまりシャカリキになるとバテる可能性があるから。この辺は自分の性格と相談しながら様子をみて決めていく。無理をしすぎず、でも昨日よりはちょっぴり前進。これをテーマに英語の勉強を続けていく。

二つ目は、内容(会話)の大部分はわからなくても案外物語の内容は理解出来るということ。今となっては何だか英語も理解出来ているような錯覚に陥る事もある。

勿論、ハリウッドの脚本家のストーリー展開が優れている事は言うまでもないのだろうが、例え錯覚であろうが勘違いであろうがその瞬間が結構嬉しかったりする。かすかな希望が見える。

昨夜は映画『とらわれて夏』を鑑賞。

今回も同様に、何だか英語と物語を理解出来ているような気になったし途中間違いなく感情が揺さぶられていた。厳密に言えば“英語がよく理解出来ていないのに”である。

この経験からふと「脚本においてセリフ(英語)はもっと少なくても良いのかもしれない」と思った。ここ連日、いや数ヶ月と言った方が良いかもしれないけど、自分のセリフのセンスのなさに苦しんでいた。自然じゃない。鼻につく。違和感。などなど。

上手くセリフが書けない。この感情、感覚とは一生付き合っていかなきゃいけないしそのつもり。でも今回の経験を通して少し肩の荷が降りた。

現在執筆中の脚本も執筆開始から1年9ヶ月が経った。焦る気持ちは当然ある。「完成させる」と周囲に公言して、結果的にその約束を果たせていないから……ではない。年単位の時間を費やしても売れる保証なんてどこにもないからだ。でも完成させなきゃ何も始まらないのも事実。

セリフの量を減らしてかつシンプルにして物語の本質を掴む。「この物語は、オマエは何を言いたいのか」と。英語だけで映画を観る経験を通して感じたことを脚本執筆に生かす。いよいよ後半戦も大詰めだ。

いつかこの日々が報われるようしっかりやる。