「スタート」と「旅立ち」

3連休最終日、朝からJRと埼京線と京浜東北線を乗り継ぎ、埼玉県の某駅へと足を運んできた。これまで何度か書いたけれど、今月後半に東京都から埼玉県へと引越すことが決まった。先日、無事に保証会社の審査にもパスをしたので、契約書にサインをするためマンションの管理会社へ行ってきたのだ。

今日は成人式だったようだ。最寄駅の近くでスーツや振袖に身を包んだ若者と何度もすれ違う。ここで「若者」と書いてしまうあたり、僕も確実に歳を重ねているのだろう。僕自身、年齢を重ねることに抗うつもりはないし、正直、嫌だという感情はほとんどない。どちらかと言えば楽しみでもある。年齢とともにある種の深みが出るんじゃないかと、淡い期待さえ抱いているほどだ。けれど、「若さ」を羨ましいと思う感情はある。運動をしたり、女性の場合化粧をしたり、なるべく若さを保つことは出来たとしても、若さを取り戻すことは恐らく誰にも出来ない。生きている限りただ失い続ける、それが「若さ」だ。だから今、無条件にその「若さ」を持ち合わせている新成人を見ると、いいなぁ、と思う。二度と得ることが出来ないからこそ輝いて見えるし、また実際に輝いている。二度と得ることが出来ないからこそ素晴らしいし、今日を大切に生きる必要がある。僕が成人式に出てからすでに12年が経った。もう12年か、とも感じるけれど、どちらかと言えば、まだ12年か、という感じが強い。新成人からすれば僕はオジサンかもしれないけれど、新たなスタートという意味においては同じだと思っている。

電車を乗り継ぎ、某駅で降りてしばらく歩くと、洋館風の美しい建物が見えてきた。一階の大通りに面した駐車場に黒く車体の長い車が停車している。一見するとリムジンのようにも見えたが、周辺に立つ数名の服装から、それが葬儀であることがわかる。立っているのはきっと葬儀社の社員なのだろう。控えめに佇むその姿が、周囲の風景と違和感なく同化し、ただ流れ行く世界の一部として存在している。同じ一日の中で新しいスタートを切る人もいれば、旅立つ人もいる。今日もそうだし、明日もそう。これまでもずっとそうだし、これからもずっと同じ。僕は今、まだスタートする側にいるけれど、最終的には必ず旅立つ側に回る。もちろん、僕だけじゃない。みんな同じだ。

本当であればこういう内容は僕自身のフィルターを通し、ちゃんと時期を待って、しかるべきタイミングで脚本や物語に投影させるべきものなのかもしれない、と思った。けれどそのしかるべきタイミングとやらが一体いつなのか、今の僕には見当もつかないし、今日ある人生が明日もまた当たり前にある保証はどこにもないので、その時々で書こうと思ったことはなるべく書いていきたい。僕という一人の人間が生きた証を、少しだけでも後々に残せればと、そう思っているし、これからもそう思い続けたい。